100辞書・辞典一括検索

JLogos

28

珠城山古墳群
【たまきやまこふんぐん】


桜井市穴師字珠城山に所在する古墳群。奈良盆地の南東部,三輪山の北方で巻向山の別峰である穴師山から西に派生した丘陵の先端に珠城山がある。平坦部に突出した尾根上には3基の前方後円墳がほぼ東西に並び,盆地に近い西側から3号墳・2号墳・1号墳と呼ばれている。現在,3号墳は前方部のみであるが,ほかはほぼ完全に残っており,1・2号墳は国史跡。発掘調査は昭和30・33年に県教育委員会が,同60年には桜井市教育委員会が実施している。1号墳は全長約50m,後円部径21m。後円部に片袖式の横穴式石室がある。玄室の長さ3.4m,幅1.65mで,天井石3枚で覆う。羨道の一部は欠失。石室は花崗岩を乱石積に架構し,石の隙間には安山岩系の石材を詰めている。石棺は玄室の中央に主軸に沿って置かれていた。上部は破壊されていたが,凝灰岩の組合式石棺で底石4枚,側石・小口板7枚で構成している。遺物は金銅製中空勾玉・銀製中空玉・金環・ガラス製小玉・琥珀製棗玉などの装身具をはじめ,三葉環頭大刀,魚の文様を象嵌した鉄刀,胡籙金具,鉄槍,挂甲小札,鉄鋏,鞍金具,剣菱形杏葉,雲珠,土師器,須恵器,埴輪など多種類にわたる。2号墳は全長75mで,当古墳群中最大の規模。後円部径と前方部幅はともに約40m。葺石・埴輪などの外部施設は不明。後円部の埋葬施設は定かでなく,前方部に小型の竪穴式石室が露出しているのが見られるのみである。3号墳は全長47.5m,後円部径と前方部幅はともに約25m。埴輪列は前方部の2号墳と接する側に1列確認されている。内部構造は後円部と前方部に横穴式石室をもつ。後円部の石室は両袖式で,玄室の長さ4.66m,幅2.14m,羨道の長さ5.1m,幅1.4mである。石棺は玄室と玄門から羨道にかけての2か所に置かれている。玄室の石棺は完全に破壊されていたが,羨道の石棺は追葬時に設けられた羨道中央の仕切石と玄門の間に敷かれた敷石の上に底石と小口板のみが残っていた。遺物は元の位置にあるものは少ないが,金環・大刀・三輪玉・挂甲小札・鉄鏃・馬具類・土師器・須恵器・埴輪などを検出した。特に忍冬唐草文透彫鏡板や双鳳文透彫杏葉などは優品である。前方部の横穴式石室は片袖式で,玄室の長さ4.42m,幅2.1m,羨道の長さ4.3m,幅1.2mである。玄室の床面から鉄釘を検出していることから木棺が置かれていた可能性が高い。遺物は金環・座金具・土師器・須恵器などがある。築造時期は6世紀中葉から後葉で,このように3基の前方後円墳で構成された古墳群は珍しく,大和の前方後円墳の終末の様相を知る上で貴重である。なお,各横穴式石室は中世に再利用した痕跡が認められ,羽釜の骨蔵器をはじめ墨書のある瓦器碗や土師質小皿などが出ている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7167983