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真神原
【まがみはら】


旧国名:大和

(古代)大和期から見える地名。甘樫丘の西方,飛鳥川東岸に位置する。「大和国風土記」逸文(枕詞燭明抄中)に「むかし明日香の地に老狼在りて,おほく人を食ふ。土民畏れて大口の神といふ。その住める所をなづけて大口真神原といふ」と見える。大口はマカミにかかる語で,マカミは狼を示す。狼の住む野原が真神原か。真神原は明日香に含まれる。雄略朝に,倭国吾砺(あと)の広津(ひろきつ)邑に安置した渡来人が多く病死したので,新漢陶部・鞍部・画部・錦部・訳語らを「上桃原・下桃原・真神原」の3か所に遷居させたと見える(雄略紀7年是歳条)。桃原は現在の明日香村島庄に比定されるが(推古紀34年5月丁未条),真神原は「飛鳥衣縫造が祖樹葉の家を壊ちて,始めて法興寺を作る。この地を飛鳥の真神原と名く。亦は飛鳥の苫田と名く」(崇峻紀元年是歳条)とあることから,飛鳥寺付近と考えられる。真神原は苫田とも称したという。「万葉集」巻2に「高市皇子尊の城上の殯宮の時,柿本朝臣人麿の作る歌一首」として「明日香の 真神原に ひさかたの 天つ御門を かしこくも 定めたまひて 神さぶと 磐隠ります やすみしし わご大君の」(199)と詠まれることから,天武天皇の浄御原宮(天つ御門)は当地に比定される。また浄御原宮の造営については,「赤駒の匍匐ふ田井」(4260)や「水鳥の多集く水沼」(4261)を都としたと見える。真神原の別名苫田からも知られるように,これは当地が低湿地であったことを示す。なお「姓氏録」と大和国諸蕃に「真神宿禰」として「漢福徳王自り出づ」と見え,一族には真神宿禰氏長(類史99叙位天長10年正月乙未条),真神宿禰真糸(続紀延暦2年8月壬申条)らがいる。吾砺の広津から当地へ移住してきた渡来人の子孫であろう。現在の明日香村飛鳥に比定される。舎人娘子の雪の歌一首に「大口の真神の原に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに」(万葉集1636)がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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