曲川
【まわりかわ】

旧国名:大和
まがりかわ・まりかわとも称される。曽我川下流域に位置する。安閑紀元年正月条に「都を大倭国の勾金橋に遷す。因りて宮号とす」,「古事記」安閑段に「御子,広国押建金日命,勾の金箸宮に坐しまして,天の下治らしめしき」とある安閑天皇勾金橋宮の伝承地(大和志)。安閑天皇は「勾金橋宮御宇天皇」(続紀天平勝宝3年2月己卯条),「勾金橋御宇安閑天皇」(延喜式諸陵寮)と称された。また「樟勾(くすのまがり)宮」(欽明紀14年7月甲子条)の比定地でもある。なお,「勾(まがり)」を冠する地名としては,崇峻即位前紀7月条に蘇我馬子らの軍に敗れた物部氏の残党は「悉くに皁衣を被て,広瀬の勾原に馳猟して散れぬ」と見える。また「和名抄」広瀬郡六郷の1つにも「下勾」郷がある。さらに地名ではないが「古事記」開化段には日子坐王の子小俣王は「当麻の勾の君の祖」とする。これら「勾」の比定地については,当地のほか現河合町大輪田・川合,広陵町百済など多数あり確定できない。曲川は「川の屈曲したところ」の意か。
【曲川(中世)】 南北朝期から見える地名。
【曲川村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【曲川(近代)】 明治22年~昭和31年の大字名。
【曲川町(近代)】 昭和31年~現在の橿原市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7169523 |





