雨が谷古墳群
【あまがたにこふんぐん】

後期の古墳群。和歌山市楠見中に所在。背見山山塊の4本の尾根のうち,西から2本めの尾根の先端に1号墳,東側の尾根に2~6号墳がある。昭和47年の宅地造成に際しての事前調査で,方墳1基を含む6基が確認され,翌48年破壊される3基を同志社大学考古学研究室が発掘調査した。1号墳は径8mの円墳で,主軸をN-80°-Eに置く組合式木棺の直葬墓であった。木棺は長さ260cm,上端幅は55cm(東側)~70cm(中央部と西側)で,棺内に須恵器の壺(1)・
(1),滑石製臼玉(1)・刀子(1)が置かれ,棺外から須恵器の坏身(4)・坏蓋(4)・無蓋高坏(1)が出土した。墳丘裾部の掘込みから須恵器の大甕(1)・壺(2)・短頸壺(1)が出土し,そのうち大甕と壺1個体の底部には焼成後に孔が開けられていた。須恵器から5世紀後半の築造と見られる。2号墳は東側尾根に所在する横穴式石室で,基底部のみが残存。西北西に開口する石室は全長1.5mで,玄室は幅1.55m・長さ0.85mと横長で,幅0.45m・長さ0.385mの玄室前道と幅0.75m・長さ0.275mの羨道が,玄室の中央より左側に偏して付く。遺物は須恵器坏蓋(1)・ガラス製小玉(1)・鉄鏃(6)・直刀(1)・刀子(1)・不明鉄器片(5)で,6世紀前半の築造である。3号墳は,2号墳の約150m南方に存在。盛土が流失し,埋葬施設も検出されなかったが,埴輪列と多量の埴輪片を検出し,その中には壺形・盾形・家形などの形象埴輪片も確認された。ほかに副葬品と思われる須恵器の坏身(1)・坏蓋(2)・高坏(2)・
(1)と,墳丘すそに置いたと推定される須恵器甕(2)が出土。6世紀初頭の築造である。さらに1号墳から弥生中期の,2・3号墳の墳丘中から弥生後期の土器片が出土し,付近に弥生時代の遺跡が存在していると推定される。文献は「和歌山市楠見・雨が谷古墳群調査報告」。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7170277 |





