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池野口村
【いけのくちむら】


旧国名:紀伊

(近世)江戸期~明治8年の村名。牟婁(むろ)郡のうち。池ノ口村とも書く。古座(こざ)川下流域左岸に位置する。村名は池野山村から古座川辺に分村したことにちなんで名づけられたという(続風土記)。和歌山藩領御蔵所。古座組に所属。村高は,慶長検地高目録では77石余,ほかに小物成8升余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに78石余。寛永21年の郷組之事によれば,家数29軒・人数47,舟数5艘,鉄砲3,馬6(古座町教育委員会保管文書)。「続風土記」によれば,田畑高78石余,家数67軒・人数288。古座川奥地から搬出される木材・薪炭を集散し,奥地への米・雑貨を取り扱うなど,商業が盛んで,豪商も多かったといい,木炭商の雑賀屋佐藤長右衛門などが著名であった。弘化2年浪人太田勇之右衛門が寺子屋をひらき,男60・女12が学習し,慶応元年まで続いたという(東牟婁郡誌)。神社は山王権現三社。寺院は曹洞宗霊巌寺。なお幕末には地士中西孫左衛門がおり(南紀徳川史11),中西家は古座組大庄屋を4代勤めたという。明治4年和歌山県に所属。同5年には雑賀屋12代得四郎が藩主より所在の森林および製炭職工の転譲を受け,その後独占的に経営し,東京・大阪に特売店をおき,品質優良で名声を博したという。同6年には戸数87,男202・女210。同8年高池村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7170362