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江川村
【えがわむら】


旧国名:紀伊

(古代~中世)平安期~戦国期に見える村名。那賀郡名手荘のうち。江河村とも書いた。初見は嘉応2年2月13日の紀友貞畠地売券で,友貞が仍楽に売り渡した畠1反について「在名手御庄内字江河村黒田垣」とある(高野山文書/大日古1-6)。仍楽はこの畠地を建久10年3月11日の僧仍楽畠地売券で処分している(早稲田大学所蔵文書/鎌遺1040)。この他鎌倉期~南北朝期には貞応3年正月21日の恒清田地売券を上限とし正平18年2月5日の僧尭範田地売券を下限として(高野山文書/大日古1-4),「高野山文書」中には多数の売券・寄進状が残り,当地内の田畠が高野山御影堂の陀羅尼田として寄進されている例が多い。その後応永32年の天野社一切経会段米納日記には名手荘を構成する村落として,西村・中村・野神(上)村・馬ヤト(宿)村とともに「弐斗四升一合 大川村」とあるが,他の4か村と同時に記されていることから,これは江川村のことと考えられる(同前)。永享4年4月9日の名手荘江川村検注帳によれば,惣田数は14町1反80歩で,うち上田が2反180歩,中田が1町3反260歩,下田が12町3反300歩となっている(勧学院文書/那賀町史)。またこの検注帳に見える江川村内の田地の所在を示す地名としては,「居垣内坪」「イノヲカ」「大池坪」「大門坪」「カウトノ谷坪」「カメイ坪」「北カワ坪」「桐ハタ」「ク木ノ垣内坪」「シモ川ラ坪」「スキ垣戸」「太郎垣内坪」「堂垣内坪」「鳥ツ木イ」「中北坪」「西ヲカ坪」「ハキノ谷坪」「ハラ垣内坪」「又五郎垣戸」「円山」「森上坪」「安ス垣内坪」「山ト垣内坪」などが見える(同前)。なお天正13年に原型ができたと推定される「粉河寺旧記控」によれば,応仁元年5月8日の名手荘と粉河(こかわ)寺領丹生屋(にうや)村の水論の際の記事に名手荘方として「切畠・野上・江川」が見え(粉河寺文書/県史中世1),江戸期には中村・切畑村・西野山村が見える。なお江川村は重谷川の開析谷を中心とし,その右岸に立地していたと考えられ,現在の那賀町江川中を中心に切畑と西野山とを含む地域に比定される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7170634