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切目川村
【きりめかわむら】


(近代)明治22年~昭和32年の日高郡の自治体名。切目川流域に位置する。羽六・宮ノ前・古屋・古井・下津川・見影・脇ノ谷・樮川(ほくそかわ)の8か村が合併して成立。旧村名を継承した8大字を編成。羽六に役場を設置。明治24年には戸数422,男1,120・女1,118,学校3。同42年の戸数375・人口2,056。世帯数・人口は,大正9年401・1,747,昭和10年395・1,839,同25年445・2,196。当村は県下の酪農地として発展してきたが,明治45年羽六信用購買販売組合(組合員17)を設立,組合長西岩吉の村更生事業としての酪農導入の提唱をうけ,大正2年乳牛1頭を導入したのにはじまり,以後,販路拡大に伴い同13年古井酪農組合を設立,昭和16年には150頭を数えた。第2次大戦激化による飼料不足で,同21年まで牛乳生産中止。生産の高まりとともに同23年南紀酪農会社を設立,同27年切目川酪農協同組合を結成,同29年には350頭となった。その後貿易自由化による営業不振により南紀酪農会社は解散した。同31年からカルピス紀陽乳業・カルピス和歌山工場,以後明治乳業が生乳の生産販売を行った。なお,農業構造改善事業の進行に伴い各家庭飼育は減少し,共同経営などで大型化し,同39年700頭に達したが,以後経営困難となり,かわって蔬菜栽培に転換している。昭和25年の総面積29.44km(^2),同27年農家数390戸うち専業245戸,耕地総面積は田203町5反余・畑76町9反余(市町村勢要覧)。同31年5月下津川・見影・脇ノ谷が合併して美里が成立。同年9月古井・美里・樮川が分離して安住(あずみ)村となり,同時に切目村を合併し,合計5大字となる。同32年印南(いなみ)町の一部となり,村制時の5大字は同町の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7171320