中三谷
【なかみたに】

旧国名:紀伊
和泉山脈南麓,紀ノ川支流の木積川と春日川とにはさまれて位置する。地名について「続風土記」には「三谷といふは東に浅尾谷あり,中に春日谷あり,東に不動谷あり。北三谷を受けし村なる故に三谷村の名ありて,東・中・西と三つに分れたり」と記される。地内に春日山城跡がある。南北朝の内乱の際には根来衆300人が春山城にたてこもり,恩地・牲川の軍勢300騎と対戦し全滅したという(太平記)。春日神社近くに討死した岩田八郎の碑があり延文5年の年紀を有する。不動寺谷遺跡は,字不動寺に所在し,昭和50年には磨製の石斧を出土し,全長25.4cm・幅6cm・厚さ5.3cmで同形態の出土例は近辺にはみられない。
【中三谷村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【中三谷(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7172716 |





