100辞書・辞典一括検索

JLogos

30

竜門山城
【りゅうもんさんじょう】


南北朝期の山城。那賀郡那賀町に所在。紀州富士と呼ばれる竜門山(標高756.6m)の山頂に築かれている。竜門山は紀ノ川の南,那賀郡の那賀町・粉河(こかわ)町の東西に連なる竜門山系の主峰で,古くは勝神山と呼ばれた。城跡よりも自然の宝庫として知られる。山頂は東西200m余,南北50m余で,中央が窪んだ3段の曲輪が跡を残す(那賀郡誌)。延文5年4月3日,畠山国清の弟義深の率いる3万余騎が,最初峰(那賀郡打田町)に布陣する南朝の四条中納言隆俊を攻めたという。「太平記」に「宮方ノ侍大将塩谷伊勢ノ守 其兵ヲ引具シテ 最初ケ峰ヲ引退テ竜門山ニゾ籠リケル……彼竜門山ト申ハ岩竜頷ニ重ナ(ツ)テ路羊腸ヲ遶レリ 岸ハ松柏深ケレバ嵐モ時ノ声ヲ添ヘ 下ニハ小篠茂リテ露ニ馬蹄ヲ立カネタリ……一段平ナル所ニ馬ヲ休メテ息ヲ継ント弓杖ニスガリ太刀ヲ逆ニ突……南北ノ谷深ク絶テナラデハ道モナシ」(巻34紀州竜門山軍事)とあり,この要害に畠山勢は苦戦。北朝方は再び7,000余騎の軍勢を竜門山に向かわせ「竜門陣ヲ落サレテ阿瀬河ノ城(有田(ありだ)郡清水町)ヘゾ籠リケル」(巻34二度紀伊国軍事)とあるように南朝方は敗れて阿瀬川城に退いたという。最初峰は竜門山の主峰から西へ約6kmの位置にあり,竜門山系西側の最初の峰に当たる。また竜門山主峰の東方約2kmの峰にミササ峰城跡,その北東約800mに小飯盛城跡,その東方約2kmに飯盛山城跡と城跡が続いている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7174018