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和歌山県
【わかやまけん】


(近代)明治4年~現在の県名。明治4年7月14日,中央集権体制の強化を企図する維新政府は廃藩置県を断行,地方を府県二治制とした。これにより府県藩三治制下の和歌山藩所轄地を引きついで和歌山県が成立。その管轄地は,旧紀伊国伊都(いと)・那賀両郡内紀ノ川以北の伊都郡83か村と那賀郡173か村,海部(あま)郡全域59か村,田辺県・新宮県を除いた名草(なぐさ)郡148か村・有田(ありだ)郡133か村・日高郡115か村,当県と三重県に分断された形となる牟婁(むろ)郡274か村,ほかに旧伊勢国多気郡93か村・度会(わたらい)郡139か村・飯高郡107か村・一志郡67か村・飯野郡7か村・奄芸郡36か村・河曲郡1か村・三重郡1か村,旧大和国吉野郡3か村に及んだ。県の成立により旧藩主を知藩事から解任,和歌山城砂の丸の旧藩庁を県庁に改め,大参事津田正臣が初代長官となり県政を統べた。同年11月22日,3府302県から3府72県への整理統合に伴い,和歌山県・田辺県・新宮県を廃止統合し,改めて和歌山県を置いた。この再編制により,五条県に属していた旧高野山領を編入。またその南境は北山川と十津川の合流点から下流の熊野川中央とされ,旧新宮県所轄のうち牟婁郡の同川以西を編入した。これにより旧新宮県域のうち牟婁郡の一部と伊勢国多気・渡会・一志・飯野・飯高各郡を度会県へ,同奄芸・三重・河曲各郡を安濃津県へ移管した。さらに旧県域大和国吉野郡は奈良県へ移管したが,この時,牟婁郡北山5か村のみは飛地の形で当県にとどまった。これら所轄地域の統廃合処分に伴う引継ぎ事務は翌5年2月から5月にかけて完了。旧紀伊国伊都・那賀・名草・海部・有田・日高6郡および牟婁郡のうち462か村を県域とし,戸数12万4,000余戸,人口55万6,919人を数えた。改置された県の長官には,旧和歌山県大参事津田正臣が参事として任じられ,次いで和歌山県権令となった。明治5年1月津田に代わって北島秀朝が新県権令となり,彼の時期に県治の基礎が確立した。なお同年1月17日に県庁は西汀(にしみぎわ)丁旧和歌山藩会計支局跡へ移転した。同12年1月郡区町村編制法の施行に伴い,大塔・峰山脈をもって牟婁郡を東・西に二分し,東牟婁郡・西牟婁郡が成立。さらに同29年4月海部郡と名草郡を合併して海草郡とした。明治22年市制町村制施行時の市町村数は和歌山市と3町228か村,現在は7市36町7か村。明治42年の戸数13万1,333・人口73万486。世帯数・人口は,大正9年16万1,742・75万411,昭和25年21万5,568・98万2,113,同50年30万8,341・107万2,118。平成12年39万8,730・109万1,260。




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「角川日本地名大辞典」
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