賀露
【かろ】
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旧国名:因幡
中世・近世には賀露・加路・賀呂・軽とも書いた。地元の古老は「かる」といい,古書に「かる」とも見える。千代(せんだい)川の河口部に位置し,右岸の十六本松からは鳥取砂丘を望み,西には湖山砂丘が広がる。地域一帯からは石器時代の遺物も豊富に出土し,古代からの文化地帯であった。軽(かる)という地名は軽部(かるべ)のいたところといわれ,諸国の軽部を統率したのが因幡(いなば)にゆかりの深い武内宿禰の子孫といわれる軽部臣であったことから,賀露の古名が「かる」であったと考えられる(因伯地名考)。また,「かろ」という発音はアイヌ語のカルから転化したものといわれるが(県観光事典),中世の文書に布施郷加露とあるので「カル」は「カロ」の訛ったものともいう(鳥取市七十年)。港を見下す丘陵地にある賀露大明神(賀露神社)は「三代実録」によると,貞観3年従五位下を授けられた。天平勝宝6年吉備真備が唐より帰朝の途次難船し賀露の沖の小島にたどり着いたといい(因幡志),当地は古くから港として朝鮮・隠岐・出雲・但馬方面との交通の要地であったと考えられる。
【加路(中世)】 戦国期に見える地名。
【賀露村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【賀露村(近代)】 明治22年~昭和12年の自治体名。
【賀露町(近代)】 昭和12年~現在の鳥取市の町名。
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![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7174952 |