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槻下
【つきのした】


旧国名:伯耆

「つきした」ともいい,古くは月ノ下とも書いた。加勢蛇(かせいち)川下流右岸部の台地上に位置する。地名の由来については,槻下神社の境内に槻の大木があり,朝日がのぼればその影が伊勢野の郷を覆い,夕日は星目野を覆ったからだという伝承がある。古くは近接する穂波・島・亀谷などの村々(いずれも大栄町)を総称して槻ノ郷と呼んだという(東伯町誌)。また,西行法師が諸国を巡遊して当地へ来た時,「世界みな月の下にてあるものを この里ばかり月の下とや」と歌をよんで村人を揶揄したが,気転のきく村人が「この里はいつきの下と書くものを 照る月ばかりつきと思うか」と答えたという伝説がある。地内には斎尾(さいのお)・塚本・大高野に27基の円墳からなる斎尾古墳群があり,1号墳からは須恵器・直刀・金環が出土する。平安期と推定される槻下四天王立像2体は,像高153cmと135cmで,ともに檜材の一木彫である。相当破損しているが,まだ部分的には彩色も残っている(槻下公民館蔵)。槻下豪族館跡は,岩野弾正坊の居城とされ(槻下神社由来記),高さ約2mの土塁が残る。現在では大堀(おおぼれ)と呼び,周辺には垣の内・門田・陣馬野などと呼ぶ地名も残る。また,斎尾には斎尾廃寺がある。法隆寺式で奈良前期の創建と推定されている。遺物では瓦が多く,軒平瓦・軒丸瓦・棟端飾瓦・鴟尾・鬼板などが多数出土し,その他仏頭・塼仏・陶硯片・鉄釘も発見されている(東伯町の文化財)。
槻下(中世)】 戦国期に見える地名。
槻下村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
槻下(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7175997