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藤屋村
【ふじやむら】


旧国名:伯耆

(近世)江戸期~明治10年の村名。伯耆(ほうき)国日野郡のうち。日野川の支流藤屋川中流域に位置する。鳥取藩領。村高は,拝領高98石余,「元禄郷村帳」98石余,「天保郷帳」115石余(うち新田高17石余),「元治郷村帳」122石余,「旧高旧領」122石余。元禄の本免は5.5,「元治郷村帳」の物成は57石余。戸口は,「伯耆志」23戸・104人,「文久3年組合帳」23戸。「伯耆志」によれば,鉄山が峠山に1か所あり,林15町余を有し,隣村へは東の二部村へ14町半,南の会見(あいみ)郡金山村へ22町半,西の会見郡八子村へ21町,北の船越村へ12町。また,氏神は福吉村にある天大明神・八幡宮および当村の山神社で,山神社の社地は東西30間・南北15間,社は方4尺,祭日は9月19日,ほかに小祠6,辻堂1がある。山神社は明治元年山口社,同6年山口神社と改称。明治初年地内樋ケ谷(といがたに)から砂鉄採取の鉄穴(かんな)流しの際に良質の紫水晶が発見され,国産水晶の鉱物標本の主なものはここから産出したものが多いといわれる。また,水晶の結晶とともに黄鉄鉱の結晶がみられるが,露出しているものの多くはほとんど褐鉄鉱に変質している。水晶も黄鉄鉱も現在では良い結晶の採集は困難である。明治4年鳥取県,同9年島根県に所属。同10年上名(かみのみよう)村・須鎌村と合併して福居村となる。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7176767