薬師町
【やくしまち】

旧国名:因幡
(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は鳥取城下四十八町の1町。町人地。鳥取城の西,城下町の西端に位置する。東は大森町と接する。町名の由来は,明光院の出来薬師にちなむ。丹後片原町の延長でできた町で,寛永11年の町名のうちには当町の名が見えない。安永7年の家数38,表口間数75間余,町役負担数19人余(藩史5)。真言宗高瀬山明応院があり,寺伝によると,天長元年弘法大師の開基という。文禄2年の洪水で堂塔伽藍や本尊薬師如来を流失したが,承応年間に坪淵という瀬から本尊を取り出し,のち再興した(鳥府志)。この薬師は多くの参詣者を集めていたが,但馬殿橋がなくなってからは宝珠院の薬師に繁盛を奪われた。明治9年の戸数84・人口334(鳥取市史)。同22年鳥取市に所属。昭和41年一部が相生町1~4丁目・寿町となる。世帯数・人口は,昭和30年31・120,同40年27・97,同50年34・99。

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