吉岡温泉
【よしおかおんせん】

鳥取市吉岡温泉町にある温泉。平安期の応和2年葦岡(よしおか)長者の発見といわれ,一説には後村上天皇の頃ともいわれる。開湯の伝説として,葦岡長者の美しい娘の顔に吹出物ができあらゆる名医・良薬も効かず悪化するばかり。そこで菖蒲山座光寺(鳥取市菖蒲)に参籠,満願の日本尊の薬師如来のお告げに従って,ウツロ田の古柳の下を1mばかり掘ったところ霊泉が湧き,この湯で娘の体を洗い,ついに全快したという。古柳の株の所から湧き出たので,この湯を「株湯」という(因幡伯耆の伝説)。長者は感激し,財宝を投じて薬師堂を建て古柳の下で見つかった黄金の霊仏を安置し,柳の古木で刻んだ薬師仏を宝泉寺の本尊として安置した(同前)。長者は浴場を造り,多くの人々に湯を施したと伝えられている。天正年間の末から慶長年中まで領主であった亀井茲矩は,しばしば湯治に訪れ,その湯を亀井殿湯と呼んだ(因幡志)。江戸期に入り,藩主池田公もよく来遊した。それぞれ一の湯・二の湯・亀井殿湯・荒湯・中の湯・瘡湯・馬湯などがあり,中島屋と角屋に内湯があった(因幡志)。宝暦10年7月に定め掲げられた御制札には「一,留湯に家中徒若党下々入申間敷事,付悪病の者制禁の事 一,他国の輩は不及申,湯治の面々溜湯の鍵,滞り無く廻り可申事 一,湯賃十七日,壱人五分,宿賃七分たるべき事 一,湯屋の内並びに町中無懈怠そうじ可仕事 一,宿借し候儀,兼約の日限の外,三日は可相待,三日過におゐては余人へ借し可申事 一,湯治の輩喧嘩口論有之刻は所の者出合い扱い可申事 一,他国の者に対し所のもの,不礼仕間敷候 然上は喧嘩口論仕候共 理非等同の分は所のもの可為越(落)度事 右此旨可相守者也 宝暦十年七月」(因幡志)とある。また,宿泊客の油代として1人1文,木賃宿代1匁2分,旅籠宿代2匁をとっている(同前)。泉質は単純泉で,硫酸塩系の温泉に属し,痔疾・婦人病・胃腸病・皮膚病などに特効がある。温泉数9,うち枯渇源泉数3・利用動力源泉数5・未利用源泉数1,平均泉温49.3℃・湧出量合計毎分726.5ℓ(昭和45年県温泉総覧)となっており,温泉水は鳥取花崗岩に発達する割れ目系に沿って上昇し,一部は沖積層を流動しており,温泉湧出区域は東西約180m・南北約200m(同前)と,狭い範囲に限られている。昭和36年7月任意団体の吉岡温泉町温泉委員会が設立され,11源泉を4源泉に整理統合し,旅館20・厚生施設2・共同浴場3に集中配湯し,同44年には旅館11万5,000人・厚生施設1万3,000人・共同浴場19万1,000人に利用されており,このほかに鳥取市所有の1源泉があり,老人保養施設に給湯されている(同前)。年間観光客数は昭和29年4万2,638人・同30年5万8,421人・同40年17万5,894人・同50年32万1,400人・同55年38万300人(県観光課調)と順調な伸びを示している。吉岡温泉は湖山池の南岸より約1.5km南方,長柄(ながら)川流域吉岡谷に位置し,戦国期の名将吉岡将監の居城があった箕上(みのかみ)山(297m)の麓に位置する山あいの閑静な温泉郷。温泉の影響で早く発生することで有名な源氏ホタルの生息地が付近にあり,特に長柄川の長柄橋から妙義橋の間に多い。北に湖山池を望み,箕上山城跡公園・秋葉公園・防己尾(つづらお)城跡などの名勝史跡があり,国鉄山陰本線鳥取駅から西方約10km,バスで30分の所にある。昭和41年国民保養温泉地に指定され,指定面積264haをもつ近代的健康保養地として発展してきている。旅館・厚生施設数は21で収容能力は1,000人。「吉岡花湯まつり」は5月3日に盛大に行われ,屋台・山車も出る。鳥取から車で20分の距離にあり,鳥取の奥座敷といわれてきたが,温泉湧出の衰退現象がみられ,打開策として北側に新源泉を開発すべきことが指摘され,今後の発展が期待されている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7177361 |





