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奥谷町
【おくだにちょう】


(近代)明治4年~現在の町名。明治19~22年3月は松江奥谷町。島根郡のうち。江戸初期には奥谷村の一部であったが,松江開府後,松江城の北方,外濠の北側,赤山丘陵と谷間の当地域を家老所属など藩士の居住地とした。当地域には藩士の職分により普請谷(ふしんだに)・東餌差(ひがしえさし)町・西餌差町の名称があった。北端にある春竜開基の臨済宗万寿寺は古くは長寿寺と称し,松平直政の治政時に当地に移転。曹洞宗桐岳寺は,松江移城の際富田(とだ)城下(現在の能義郡広瀬町)より移転。ほかに真光寺があった。「風土記」所載の田原神社はもと春日村田原谷にあったが,のち当地に移転,春日さんの通称があった。また亀田山に鎮座していた宇賀神社を慶長6年奥谷村に移し,さらに延宝2年当町域に遷座した。両社は合祀され,松江城の鎮守であったが,維新後田原神社と改称。明治4年外濠から赤山丘陵に至る一帯に奥谷町を起立,北堀町を編入。同6年一部(赤崎)を石橋町に編入,同8年北堀町を分離。同6年桐岳寺に桜崎小学校,真光寺に第15番小学校を設置。明治22年松江市の成立に伴い同市の町名となる。同年の戸数200・人口796,大正12年の戸数226・人口1,032,昭和13年の戸数283・人口1,253。明治29年赤山を切り開いた地に旧制松江中学(現在の松江北高等学校)が殿町より移転。明治20年代イギリス人宣教師バックストンが赤山に邸宅を構えていた。世帯・人口は昭和30年440・1,691,同35年511・1,719,同40年559・1,762。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7178272