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島根半島
【しまねはんとう】


八束(やつか)郡美保関(みほのせき)町地蔵岬を東端に,西は簸川(ひかわ)郡大社町日御碕(ひのみさき)まで東西約65km,幅5~18kmの標高500m以下の通称北山と呼ばれる山地を主体とした地塊。宍道(しんじ)地塁とも呼ばれる。北は日本海,南には宍道低地帯の中海(なかのうみ)・松江平野・宍道湖・出雲平野が並行し,はるかに中国山地の北辺と対している。島根半島の地塊は,⑴東端から八束郡美保関町大字北浦・松江市手角町まで,⑵鹿島町大字恵曇(えとも)町・松江市大字西浜佐田町まで,⑶平田市奥宇賀(おくうが)町・平田町まで,⑷それ以西に4区分することができる。このうち第2の地塊は第4紀の火山活動で嵩(だけ)山・和久羅(わくら)山を南へ張り出させ,もっとも幅が広くなっている。縄文末期以降,南に沿う宍道低地帯の東端で日野(ひの)川・飯梨(いいなし)川の沖積作用によって弓ケ浜半島が,また西端で斐伊(ひい)川・神戸(かんど)川の沖積作用によって出雲平野が形成され,同平野は弥生時代には島根半島を本土とつないだ。「風土記」の国引き説話は,そのような地質学的事実の投影と解釈できるが,島根半島の4つの地塊が分けられている点,また両端を本土に結んだ綱を弓ケ浜と薗の長浜(そののながはま),それをつないだ杭を大山(だいせん)と三瓶(さんべ)山としている点など,地形認識の確かさには驚くべきものがある。島根半島の北面日本海岸は古来出雲(いずも)浦と総称され,漁業が盛んであった。半島東部の南岸美保湾に面した部分,半島西部の南岸大社湾に面した部分も同様である。明治12年の「島根県一覧概表」によると,島根郡に16浦,秋鹿(あいか)郡に6浦,楯縫(たてぬい)郡に9浦,神門郡に5浦が記載されている。島根半島の南面の大部分は宍道低地帯と一体で,古来出雲地方の人文の中心地帯であった。自然のままに残されている海岸線の美しさは抜群で,半島の東西両端の部分,計1万1,260haは昭和38年4月大山隠岐国立公園に編入された。また半島内部の嵩山・枕木(まくらぎ)山・朝日山・旅伏(たぶし)山など1万557haは,宍道湖と合わせて昭和39年4月宍道湖北山県立自然公園に指定された。→宍道低地帯




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7179385