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匹見上村
【ひきみかみむら】


(近代)明治22年~昭和30年の美濃(みの)郡の村名。匹見村と紙祖(しそ)村が合併して成立。村名は檜木見(ひきみ)に由来するといわれる(石見匹見町史)。大字は旧村名を継承,2大字を編成。村役場は大字匹見の野入(やにゆう)におかれた。合併当時の戸数429・人口1,856。大正9年の第1回国勢調査の時の世帯は620・人口は2,435。産業はワサビ栽培・製紙・製炭など。三葛(みかずら)を中心とするワサビ栽培は一時全滅に近い打撃を受けたが,その後立ち直り昭和12年3万2,787貫の生産をあげる(石見匹見町史)。かつては赤茎の畑ワサビが多かったが,現在は冷水栽培ワサビに切り替えられた。石見半紙は吉賀半紙と称される良質の紙で,生産量は多かったが,大正10年頃より西洋紙に押され衰退していった。大正期に入り他県の製炭師が村内に入り,製炭に従事した。同14年の頃には福井県から来た人々が黒炭を,兵庫県から来た人々が白炭を焼いていた。この頃は黒炭の生産が多かった。昭和9年の生産高は43万貫であった(石見匹見町史)。村有林は元東・広見・西・七村(ななむら)・三葛各地区の所有であったが,明治45年より村有となる。広見川の源となる広見村有林は村内でも一番広大な山林で,300年を経たナラ・ブナを主とする。昭和8年創業の大川工場など4製材所があった。県道益田(ますだ)~匹見線の道路改修が豊川村,真砂(まさご)村・匹見下村と匹見上村の4か村の継続事業で始められ,大正元年に完成した。大正14年に村長の職にあった劉(みずき)一(はじめ)が4人乗りのフォード1台を買入れ,匹見自動車株式会社を設立した。匹見・益田間の運賃ははじめ片道2円70銭であったが,のち1円50銭となった。交通が不便なだけに,バス会社の役割は大であった。昭和15年益田自動車会社に統合される。同7年特設電話が開設されたが,当初の加入者は12戸であった。村営江田(えだ)発電所が虫ケ谷に同14年創設されたが,電力が低かったので廃止された。同30年,匹見下村・道川村が合併して匹見村となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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