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松江港
【まつえこう】


県管理の地方港湾。大海崎(おおみさき)鼻から意宇(いう)川左岸突堤までを引いた線および陸岸に囲まれた中海(なかのうみ)海面,末次(すえつぐ)鼻から嫁ケ島西端の線以東の宍道(しんじ)湖湖面,さらに大橋川を含めた範囲が松江港である。主な繋船岸壁は松江市街を東西に貫く大橋川の南岸にあり,延長約1km。古来大橋の両岸白潟(しらかた)と末次は港として有名で,近世のはじめには明国の「図書編」に白潟が「失喇哈丁(しらかた)」としてみえているほどである。近代に入って明治10年代から汽船が登場すると大橋川は東方中海の米子・境港(さかいみなと)・安来(やすぎ)などと,西方宍道湖岸の平田・荘原(しようばら)・宍道などを結ぶ水運の中心としてにぎわうようになった。明治末期には大橋川と中海馬潟(まかた)沖の浚渫が行われ,馬潟は日本海沿岸航路の寄港地としてにぎわった。阪鶴鉄道航路は明治39年に開設され,舞鶴(まいづる)(京都府)までは汽船阪鶴丸を,舞鶴からは汽車を用いて,京阪神へ24時間を要しないで結ぶ画期的な交通路となり,明治45年3月の山陰本線京都~今市間全通まで大いに利用された。大正11年からは斐伊(ひい)川改修事業の一環として大橋川が再び浚渫され,昭和3年から7年にかけて松江市街地付近の大橋川両岸が埋立て整備され,前記繋船岸壁などの施設ができ,ほぼ今日の姿を整えた。なお,付近には造船所があり,船の新造修理などが行われているが,この方は,松江第3大橋の建設問題とからんで現在移転が進められている。大橋川を南北に結ぶ橋の架設とともに松江市街地部分の港湾機能は減ぜざるを得ないことになる。昭和50年の入港船舶4,385隻・47万3,810t・乗込人員5万7,592人・上陸人員4万4,320人・輸移入貨物41万3,678t・輸移出貨物7万1,670t。中海に面する馬潟地区には,水深4mの500t船の接岸も可能な岩壁が完成し,馬潟工業団地の海の玄関口の役割を果たしている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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