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間之町
【あいのまち】


旧国名:備中

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は間之丁と称し,明治17~22年は高梁(たかはし)を冠称。江戸期は松山城下の1町,武家地。明治13年高梁町,昭和29年からは高梁市の町名。城下中央東部に位置する。板倉氏入封後に鷹匠丁安正寺の南側に築かれた下級武士の屋敷地。慶応年間頃の世帯数36(高梁市史)。江戸期の当町は上間之丁・中間之丁・下間之丁とに分かれていた。また藩主板倉氏の時の松山城下図(同前)では安正寺の南東に東間之丁が見える。天保10年の大火は当町から出火し,城下の大部分を焼き,焼失家屋は600戸を数えた。明治初年までに同心丁を合併。昭和20年日本専売公社高梁製造工場開業。同60年の世帯数16・人口47。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7181945