大多羅
【おおだら】

旧国名:備前
芥子山の南西麓に位置する。地名の由来については,諸説がある。「多羅」は満州語の曠野・野外,朝鮮語の野と同系とする説によれば大葦原の景観によると考えられ,また「多羅」は加羅と同名で,任那の韓人など渡来人系の土着地とする説,「大多羅」は大きな踏鞴として製鉄との関係を重視する説などがある。当地は,天平19年2月11日の大安寺伽藍縁起并流記資財帳(寧遺中)に「上道郡五十町 大邑良葦原 東山守江 西石間江 南海 北山」と記された大邑良葦原に比定される。のち二分され西部が大多羅,東部が葦原(吉原)になったとも考えられる(可知郷土史)。広畑からは石斧・石鏃が出土,昭和39年火打山から出土した石器は,その後の研究で旧石器時代のものと推定された。古墳に宮山古墳,毘舎門塚がある。「可知郷土史」では,文明8年霜月15日の柘植経光・長原盛重連署屋敷畠沽券(本蓮寺文書/県古文書集2)に見える「可知郷内唐臼里拾坪」を当地に比定。布勢神社は「本国総社本」に正三位布施大明神とされた古社である。
【大多羅村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【大多羅(近代)】 明治22年~昭和47年の大字名。
【大多羅町(近代)】 昭和47年~現在の岡山市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7182590 |





