100辞書・辞典一括検索

JLogos

53

岡山県
【おかやまけん】


(近代)明治4年~現在の県名。明治4年7月14日廃藩置県により,旧岡山藩管轄44万751石をもって成立。伊木忠澄が大参事に就任した。このとき,県庁は旧岡山城内の池田出羽邸に設置された。明治4年11月15日各府県の統合が行われ,岡山県は旧備前国1国,8郡604町村,反別2万9,950町,41万8,964石余,戸数8万2,885・人口34万920を管轄することとなった。参事には旧岡山藩士族新庄厚信が就任し,県庁を弓之町旧聴断局跡に設置し,また告諭所も設置した。同年12月3日深津県管轄の旧生坂・鴨方県管轄地を管轄することとなったが,翌5年6月7日には深津県へ引渡すこととなり,7月2日参事新庄厚信が主張して引継ぎを行った。明治5年9月石部誠中が権参事に任じられ,同6年10月に参事,同8年7月に権令に昇進した。明治8年10月地租改正事業に関連して県令更迭が行われた。新県令高崎五六は着任と同時に県官の任定を行って地租改正事業を強行した。同年12月10日小田県を合併することとなり,権参事西毅一は笠岡へ出張して事務引継ぎを完了し,同9年2月笠岡の元小田県庁跡に岡山県支庁を設置した。同年4月18日北条県が廃止されて美作国一円が岡山県管轄となり,同時に備後6郡を広島県に引き渡して,備前・備中・美作の3国を完全に管轄することとなった。このときの県勢は,31郡・1,678町村,反別8万6,609町,戸数23万5,872・人口98万798であった。県庁は明治12年天神山に新築され(現在の天神町,県立美術館),昭和20年6月29日の戦災まで続いた。明治23年郡制が公布されるが,岡山県は同33年4月に実施し,同時に郡の廃置分合をすすめて,従来の31郡を19郡に統合,昭和46年には18郡となる。同63年現在10市18郡56町12か村に編成されている。明治33年の戸数23万2,597・人口116万1,175。世帯数・人口は,大正9年26万6,770・121万7,698,昭和25年34万2,701・166万1,099,同40年40万2,669・164万5,135,同50年51万1,202・184万4,305。平成12年70万4,896・195万7,664。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7182663