上阿知
【かみあち】

旧国名:備前
硫黄山の北東麓から邑南山地にかけての山麓および平地に位置する。中世には阿知村が見えるが,地名の由来は,「日本書紀」応神天皇条に見える阿知使主が率いて帰化した漢人一族が,のち広く分布して居住したことに関係するものか,または阿知使主を藤井にある安仁神社のはじめの祭神と推定し,それにかかわる地名とする説もある。古くから開けた地域で,須恵器・勾玉・金環を出土した茶臼山の墳墓をはじめ,字築山・字池谷・字宮山に古墳群がある(邑久郡史)。応安7年12月日の備前国弘法寺免田畠注文(弘法寺文書)には「池田里四坪」(池谷付近か)があり,条里制の遺構をうかがわせる。作州山城は宇喜多能家の家臣森藤庄左衛門が美作の国より招かれて城をかまえたと伝える(日本城郭全集)。
【上阿知村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【上阿知(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7183026 |





