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京町①
【きょうまち】


旧国名:美作

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は津山城下の1町,町人地。明治22年津山町,昭和4年からは津山市の町名。津山城の南に位置する。東は伏見町,西は堺町,南は河原町・小姓町,北は内山下(山下)に接する。町名の由来は,京の繁盛にちなんだものと考えられる。城内と京町をつなぐ橋を京橋といった。はじめ当町は二分して東京町・西京町と称したが,寛文年間に東京町は京町,万治年間に西京町は二階町と称するようになった。元禄10年の城下町図によれば,家数44うち持家28・借家16,人数578(男306・女272)。津山城の大手口に当たる当町は,城下町の中枢を占め,全町の指導的立場にある商業の町であった。寛文年間藩はこの町に使者屋敷を設けて,他藩使節の接待の場とした。この邸は町づくりの功労者で全城下町の年寄頭を勤めた小豆屋の屋敷跡である。宝暦9年使者屋敷は全町の町会所となり,また心学の教場としても使用された。天明2年その一部を割いて人馬問屋にあて,駅馬30頭を置いた(津山市史)。また,この一画に義倉を置き,凶荒に備えた。城内にあった松平家のものを移した金比羅宮があり葵の紋章入りの瓦がある。明治初期の戸数104・人口424(津山誌)。明治6年使者屋敷の町会所に女学小学が設立され,翌年廃校。同7年戸川町に開校した成器小学は,同8年当町へ新築移転,同20年尋常津山小学校,同26年津山尋常小学校と改称,同32年山下へ新築移転した。世帯数・人口は,昭和45年86・325,同55年81・252。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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