野殿
【のどの】

旧国名:備前
笹ケ瀬川中流左岸の平地に位置する。当地は典型的な環壕集落をなしており,戦国末期に富山城主宇喜多忠家がこの自然の要害を利用して平城を築いたといわれ,地名もこの築城に由来するという。地内に城の内・城の前・大寺・殿の前・大御堂などの地名が残る。天平19年2月11日の大安寺伽藍縁起并流記資財帳(寧遺中)に見える大安寺荘に隣接している地域であることから,その開田は平安期にさかのぼるとも考えられるが,笹ケ瀬川の氾濫や海水の逆流もあって南部の開発は中世以降のことであろう。
【野殿(中世)】 南北朝期から見える地名。
【野殿村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【野殿(近代)】 明治22年~昭和49年の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7185797 |





