東垪和
【ひがしはが】
旧国名:美作
吉備高原に属する垪和丘陵の西部に位置する。標高200~350m域に展開する地域で,300m前後に集落耕地が所在する。中世の垪和荘は東西に分かれ,そのうち垪和東郷(垪和東荘)にあたるか。西垪和地内の,三宮八幡神社の宮座を維持してきた名田が,当地に所在する。中世の末期には在地の豪族村上氏が勢力を持っており,毛利氏に属して西垪和地内の三宮城に拠っていたが,宇喜多直家によって滅ぼされた。
【東垪和村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【東垪和(近代)】 明治22年~現在の大字名。
![](http://jlogos.com/images/hyoshi/ktim.jpg) | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7186080 |