広戸
【ひろど】

旧国名:美作
広戸仙(爪ケ城)を中心とする山塊の南斜面,その南の吉井川支流広戸川上流部の氾濫原,および爪ケ城・山形仙(中山仙)間の声ケ乢の北西を南西流する津川川流域に位置する。東縁部には日本原高原の平坦面の一部をも含む。地名は広野へ入る戸口の意味であるという(東作誌)。日本原が複合扇状地状の乏水性台地で,広戸川およびその支流がすぐ北方の爪ケ城から発源するため集水量が少なく,当村内外には灌漑用溜池が多い。南北朝期~室町期には守護職を巡る山名・赤松両氏の争いに乗じ,国人の広戸(弘戸)・高山両氏が大吉の矢櫃(やひつ)城などに拠って当地および南接する勝加茂郷の一部を押領した。中世当地は祇園感神院牛頭天王(現京都市八坂神社)の元宮であるという播磨国広峰神社(広峰牛頭天王,現兵庫県姫路市)の信仰圏内にあった。当地を含む横仙筋の農民は古くから北大風(広戸風)による被害を受けた。この局地風は台風が太平洋岸を(北)東へ通過するときに発生する那岐山・滝山間の鞍部からの山越え気流。江戸期には草屋分の村域に風之宮を祀り,風害除けの祈願をし,常襲時期の8月には番人を置いた(東作誌)。
【広戸(中世)】 室町期から見える地名。
【広戸村(近世)】 江戸期の村名。
【広戸村(近代)】 明治5~14年の村名。
【広戸村(近代)】 明治22年~昭和29年の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7186240 |





