真加部
【まかべ】

旧国名:美作
梶並川右岸,沖積低地とその西側に続く河岸段丘からなる小盆地に位置する。段丘上に商家を中心とする家屋が密集し,新町・西町・南町などの市街地を形成。北には観音堂地区がある。梶並川流域の要衝の地として四方に交通路が走り,勝北郡南東部の中心地であった。地内の水田地帯には,条里地割が残り,観音堂には全長42mの前方後円墳観音堂(坂戸)古墳がある。中世末からは山名・赤松両氏の勢力争いの拠点ともなり,文明年間築城と伝えられる上の山城(真加部城)跡,元亀~天正年間頃の真加部構跡などがある。
【真壁村(中世)】 南北朝期~戦国期に見える村名。
【真加部村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【真加部(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7186547 |





