塚本町
【つかもとちょう】

旧国名:安芸
(近世~近代)江戸期~昭和40年の町名。江戸期は広島城下広瀬組に属す。広島城の南西。本川(太田川)に架かる本川橋の西詰から堺町に至る西国街道沿いの町。町名の由来は,昔一里塚があったことによるものか(旧県史)。江戸初期の城下町建設に伴い,沼田郡広瀬村に成立した町。毛利氏時代からの町人町で,元和5年の城下絵図では町間数48間,北方の鍛冶屋町に至る枝町1町5間。寛永2年家数改では本家46・借屋92。町内には有力な商人が多く,対馬屋は西土手町の対馬屋の分家で薬種を商い,煎海鼠を買取って長崎へ下すことを業とする一方,勘定所御用聞・札場御用聞などを勤め,芥河屋は正保元年堺町より移転した酒造家で,広瀬組ほかの町組大年寄・綿改所頭取役などを勤めた。また矢野屋は初め釘類を商い釘屋を号したが,のち味噌醤油商に転じ,大田屋は鉄類を商った(知新集)。「知新集」によれば石橋2・町門3,町間数3町36間余,家数57・竈数86(本竈17・借竈69)・人数315うち鍛冶8,釣灯張・菓子師各1。堺町境には魚屋小路があった(藩士邸宅明細図/芸藩志)。明治11年広島区,同22年広島市の町名となる。明治15年唐人町と広瀬村・西土手町の各一部を編入。明治期頃町内には金物・薬・油・醤油味噌など各種の卸売商・料理飲食店,西本川と呼ばれた本川沿いの地には各種の問屋・船問屋・旅館が集中してにぎわった(明治16年の広島諸商仕入買物案内記・明治33年の広島繁昌記)。大正13年堺町から当町にかけての堺町筋に鈴蘭灯が設置。大正末期の小売店は45。昭和10年の堺町筋では小売店数68・小売店以外の店107(新修広島市史)。大正6年の戸数113・人口555,昭和26年の世帯数31・人口132。同40年堺町1~2丁目・本川町1~3丁目・土橋町・猫屋町となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7189780 |





