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橋本町
【はしもとちょう】


旧国名:安芸

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は広島城下新町組に属す。広島城の東方,西国街道に沿い,京橋川に架かる京橋の西詰。町名は京橋のたもとにあることによる(知新集)。また京橋はかつて広島の東限であったことから内町とも呼ばれた(旧県史)。元和5年の城下絵図では町間数1町13間。寛永2年の家数改では本家41・借屋60。「知新集」によれば,町間数2町27間,家数47・竈数53(本竈18・借竈35)・人数232うち本道医・鍛冶各2,紺屋・竜吐水細工人各1。横田屋は広島開府の時高田郡横田村から来住,薬種を商った。鉄鍔などの鉄細工職人法安久次家は浅野氏に従い紀伊国より来住,歴代扶持職人。大畑屋は下駄荒物商。酒造・穀物商を営んだ伊予屋は組大年寄・綿改所頭取・銀札元役などをつとめた豪商で,安芸郡府中村の鹿籠新開を開拓(知新集)。明治11年広島区,同22年広島市の町名となる。明治16年の広島諸商仕入買物案内記では呉服商4・乾物卸2,糸物商・紙類商・薬種商・下駄草履商など各1の計13。明治期以降も海田・呉方面から市中心部に通じる道筋として車・馬の往来が頻繁であったが,第2次大戦後道路網の整備が進み裏通りと化した。大正6年の戸数67・人口264,昭和26年の世帯数67・人口289。同40年上柳町・下柳町の各一部を編入。同55年中区の町名となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7190386