100辞書・辞典一括検索

JLogos

61

播磨屋町
【はりまやちょう】


旧国名:安芸

(近世~近代)江戸期~昭和40年の町名。江戸期は広島城下中通組に属す。広島城の南,西国街道に沿い,東には平田屋町,西には細い水道を挟んで革屋町が続く。町名は毛利氏広島開府の頃,紀伊国から来た湯川播磨守宗有が当時干潟であった当町および研屋町・紙屋町・立町あたりを開拓したことによる(知新集)。毛利氏時代は侍町で,福島氏時代以降町屋となる。元和5年の城下絵図では町間数1町9間。寛永2年の家数改では本家31・借屋41。天和3年の切絵図では小間数139間余,家数34うち柿屋4・檜物屋2・医師1,ほか屋号を付すもの17など。「知新集」によれば町門1,町間数2町14間余,家数39・竈数62(本竈21・借竈41)・人数239うち本道医・傘張・鼈甲細工・紺屋・仕立物師・桶屋・畳刺・筆結各1。草津屋は佐伯郡草津浦から来住,はじめ酒造のち瀬戸物商に転じた。薬種商金川屋は天正年間頃備前国金川より来住。ほかに紀伊国から浅野氏に随従した扶持職人金具屋,同じく紀伊国から随従し銀掛屋を勤め,のち筆結となった筆屋がいた(知新集)。元治元年の御領分諸色有物帖には染物模様色染の蔦屋半右衛門,糸打物組物の玉里屋作右衛門が載る。明治11年広島区,同22年広島市の町名となる。明治12・13年に広島初の集散場が下中町・当町に開場,各種の物産を陳列。また商店・遊技場が軒を並べた。同33年の広島繁昌記では商店23うち呉服太物商・金物商各4,薬種商・小間物商各2,印刷所・菓子製造・かんざし細工各1など。明治26年袋町の温知尋常小学校が当町に移転,播磨屋町尋常小学校と改称。同43年再び袋町に移転。学校跡の空地ではサーカス団の興行・土佐犬の闘犬などが行われた(続がんす横丁)。大正期に入ると東方の千日前・新天地が新しい盛り場として発展し,新天地入口から元安橋東詰に至る本通りが次第ににぎわいをみせ,大正10年には鈴蘭灯が常置され,道路も舗装された。戸口は,同11年69・432,昭和26年世帯数65・人口389。同40年本通・立町・紙屋町1~2丁目となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7190466