下
【しも】

旧国名:周防
錦川中流左岸,柏木山南西麓に位置する。井応木には弥生時代の遺跡があり,近くの山腹3か所からも,弥生後期から古墳時代にかけての土器片が出土している。中世の当地は壇と呼ばれていた。「河野軍記」に「正平廿一年,大内義弘,高田の人数ヲ相加へ,周防国壇へ押寄,焼払」とある。また,「玖珂郡志」に「壇ト云処大光寺ノ上ノ山也。広大高陽ノ地也。弘治元年,毛利隆元,大内義長退治ノ時,陣取玉フ所也。今ニ其跡也」とある。弘治元年の合戦については「森脇飛騨覚書」に詳しい(県史料中世上)。
【下村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【下(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7193058 |





