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秋芳町
【しゅうほうちょう】


(近代)昭和30年~現在の美祢(みね)郡の自治体名。北部は中国山地の山系が連なり,中部はカルスト地形の秋吉台(あきよしだい)が緩やかな丘陵をなし,南部は緩慢な丘陵地形となっている。秋吉・岩永・別府・共和の4か村が合併して成立。秋吉・岩永本郷・岩永下郷・別府・嘉万(かま)・青景(あおかげ)の6大字を編成。町名は秋芳洞(あきよしどう)にちなみ,読みを「しゅうほうちょう」とした。町役場は,当初旧共和村役場を仮庁舎とし,秋吉支所,岩永支所,別府支所を置いた。昭和31年秋吉字下里に新庁舎が落成し,移転,共和仮庁舎を嘉万支所とし,秋吉支所は廃止された。また別府・岩永の両支所を出張所とした。昭和30年,秋吉台は国定公園に指定。同31年,米海軍航空隊の爆撃演習地化の問題が起こり,学術的価値と観光的景観保護から反対運動が行われ,同32年秋吉台演習場接収解除となる(秋芳町史)。昭和31年秋芳洞と台上を結ぶエレベーター設置。同33年台上に展望台がつくられ,同34年には秋吉台科学博物館が開館。同38年に黒谷支洞の開発が行われ,矢ノ穴へのトンネルが開通。同45年秋芳洞と奥秋吉台と呼ばれる大正洞(美東(みとう)町)を結ぶ秋吉台有料道路が開通。昭和30年別府堅田に町営別府養鱒場完成。同31年には秋芳梨生産販売協同組合が発足,秋芳ナシとして出荷し,同41年から観光のナシ狩りも始められた。昭和30年代後半,大理石採掘は秋吉台・江原台・岩永台で行われ,加工業は秋吉の秋芳大理石加工,町営秋吉授産場で行われた。昭和46年,秋芳町大理石加工協同組合が結成。同50年県道下関萩線が国道435号に昇格。同61年台上に家族旅行村を開設。世帯数・人口は,昭和30年2,267・1万1,451(男5,612・女5,839),同50年2,273・8,285(男3,910・女4,375),同60年2,249・7,907(男3,701・女4,206)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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