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橘町
【たちばなちょう】


(近代)昭和30年~現在の大島郡の自治体名。屋代島の中部および浮島(うかしま)。西には,屋代島の中央山地ともいえる嵩山・嘉納山がそびえる。町の北側は広島湾,南側は伊予灘に面し,安下庄(あげのしよう)湾の海岸砂州と北海岸(内浦)の湾入した入り海の海岸砂州上に立地する。安下庄町と日良居(ひらい)村が合併して成立。合併2か町村の6大字を継承。町名は,当町の主要産業である柑橘植栽にちなんで,柑橘類果樹の総称橘をとって命名された。昭和31年大島町秋の一部を編入し,大字秋を起立,合計7大字となる。町役場は合併当初は本庁を土居の旧日良居村役場,支所を西安下庄の旧安下庄町役場に置いたが,昭和35年本庁を安下庄に,支所を土居に移した。昭和55年の農用地723haのうち,樹園地は698haであるから農地の96%は樹園地であり,柑橘類が栽培されている。同57~58年の柑橘類の栽培面積では,普通温州ミカンが最も多く栽培面積510ha,次いで伊予柑85ha,早生ミカン60haで,ほかにネーブル・甘夏柑などがあるが,栽培面積はごくわずかである(県統計年報)。漁業は安下庄が中心で,江戸期には安下浦は御立浦として栄えた。昭和58年の動力船総数は224隻,魚種はイワシ類が主で昭和57~58年の漁獲量は936t,タチウオ63t,サワラ類23t,タイ類22t,ヒラメ・カレイ類22tとなっている(同前)。昭和37年には第1次農業構造改善事業が企画され,当町では昭和39年からミカン植栽のための大規模な基盤整備が始められた。第1次事業として,昭和39~41年には田中原の畑地灌漑戸数125戸・面積188ha・事業費919万円,油良の水田転換27戸・588ha・1,406万円,田中原の水田転換77戸・1,414ha・3,787万円,田中原の共同防除設備77戸・160ha・1,113万円,油良のミカン植栽22戸・34ha・171万円,田中原のミカン植栽61戸・125ha・560万円。昭和42~44年には日前(ひくま)の水田転換59戸・94ha・3,662万円,日前のミカン植栽59戸・94ha・421万円。第2次事業では,同49~51年に庄・秋の土地造成40.5ha・1,918万円,農道敷設692m・4,100万円,昭和50~51年に日良居選果場の選果オートメーション化9,998万円,庄の共同防除スプリンクラー設置9,150万円などが実施された。世帯数・人口は昭和30年3,367・1万4,213,同40年3,416・1万1,480,同50年3,216・8,929,同61年3,208・7,769で,合併当初に比べると人口は半減している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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