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平郡
【へいぐん】


旧国名:周防

「へぐり」ともいう(注進案)。瀬戸内海屋代島南南西の海上に浮かぶ周囲28km余の島で,東西に長く,中央に深山・長深山がある。属島として掛津島などがある。地名の由来は,寿永3年木曽義仲が粟津に討死のとき,義仲の家臣で紀伊国藤代城主鈴木帯刀介仲光が義仲の幼児平群丸を保護して吉野に入り,さらに伊予宇和島を経て翌4年(文治元年)この島に主従が住みついて以来平群島と称し,のちに平郡島になったという(平郡島史)。平郡島東浦には鈴木氏らの拠ったと伝えられる古城跡城ノ平があり,同西浦には暦応年間に本島へ渡った伊予の河野氏が拠った平見城があった(注進案)。弘治元年の厳島合戦には鈴木左近ら100名が毛利元就軍の輸送にあたり,それ以後毛利氏の幕下として御手舸子島となった(注進案・平郡島史)。また,平郡西重道八幡宮には弘安3年・暦応3年・寛正5年・長享2年の各棟札が伝来し,平郡島の開発に大きい役割を果たした浅海氏・鈴木氏,祠官の小林氏の存在を実証する。祠官小林家の家譜によると,小林家は伊予国河野氏の家臣で,弘安年間のころ丹治なるものが平郡島に渡ったと見える。天文23年6月18日,小早川隆景の兵船が都濃(つの)郡都濃平野を侵すに当たり,平郡島の四郎左衛門は防戦して功をたてた(地名淵鑑)。「三藐院記」文禄3年4月23日の条に,「へぐり(平郡島)まで午剋ばかりに着云々」と見える。
平郡島(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
平郡村(近代)】 明治22年~昭和29年の大島郡の自治体名。
平郡(近代)】 昭和29年~現在の柳井市の大字名。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7194418