上勝町
【かみかつちょう】

(近代)昭和30年~現在の勝浦郡の自治体名。勝浦川上流山間部に位置する。高鉾村・福原村が合併して成立。合併両村の大字を継承した5大字を編成。勝浦川は正木・福原にかけてはげしい穿入蛇行をみせ,険しいV字谷を発達させている。勝浦川の源流部は標高1,200~1,500mの分水界で名西(みようざい)郡神山町と境するが,仙太郎つつじ・フイゴ滝・百間滝などの名勝に恵まれる殿河内渓谷となり,昭和42年中部山渓県立自然公園に指定された。木沢村との境に位置する高丸山の山頂付近にはブナの純林が残され,東南斜面20.5haが昭和51年に県の自然環境保全地域の第1号に指定された。耕地と集落は標高200~600mの山腹斜面や河岸段丘上に立地するが,斜面の大部分は地滑り地帯である。山村過疎地域の発展を図るため,落合を起点とし那賀郡木頭(きとう)村北川に至る,幅4.6m・延長87.7kmに及ぶ剣山スーパー林道が昭和47年に着工され,総工費240億円をかけて昭和60年に完成。標高1,000mを超える徳島県の分水界を走る同道路は,林業のみならず観光面でも脚光を浴びているが,反面では自然破壊が心配されている。下流の高鉾地区は温州ミカンを中心とする果樹農業が盛んで,昭和55年には面積129ha。上流の福原地区は林業が中心である。なお当町の林野面積9,345haの79%が人工林である。勝浦川総合開発の一環として昭和52年正木地先に多目的ダムの正木ダムが完成。同ダムは,堤高67m・堤頂長215m・総貯水量1,505万tで,洪水調節・灌漑用水・水力発電を行っている。同ダムの建設によって,田畑9.8ha,山林・ミカン園49.8ha,宅地1.9ha,民家1戸が水没し,全体で8戸が徳島市と小松島市に移転した。旭の八重地にある田中家住宅は貞享2年に建築されたもので,国重文に指定されている。また同所には明治36年に移植したセンベルセコイヤの杉の大木がある。正木には,勝浦町にある四国霊場八十八か所第20番札所鶴林寺の奥の院にあたる慈眼寺がある。同寺の禅定ケ窟は古生代二畳紀に形成された地層の石灰岩の一部が地下水により浸食されてできた長さ50m・高さ1.5~5mの鍾乳洞で,最奥部には弘法大師立像が安置されている。また福原字月ケ谷には江戸期から湯治場として村人に親しまれてきた月ケ谷鉱泉(クロールナトリウム)があり,昭和48年月ケ谷温泉保養センターとして宿泊施設が作られ,利用客が増加。世帯数・人口は,昭和30年1,188・6,265,同55年920・2,918。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7195668 |





