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加茂谷村
【かもだにそん】


(近代)明治22年~昭和29年の那賀郡の自治体名。蛇行する那賀川中・下流域に位置する。平均400~700mの山に囲まれ,平地は少なく,集落は両岸の河岸段丘上に点在。楠根・深瀬・加茂・十八女(さかり)・水井・大井・細野・吉井の8か村が合併して成立。旧村名を継承した8大字を編成。役場を加茂村に設置。地名は加茂村などのある谷の意。明治24年の戸数782・人口3,443(男1,775・女1,668),厩108,寺15,学校3,水車場1,船103(徴発物件一覧表)。陸上交通の不便な当村は,明治34~36年,同42~44年の2期に分けて鷲敷街道が開通した。楠根字金石から加茂字不けを経由し,阿瀬比字西内に至る85町46間,総工費3万4,691円余の大工事だった。明治38年の生産物は,米3,189石・麦1,357石・繭66石余(2,410円)・木炭20万貫(8,000円)・薪70万貫(6,900円)・柑橘4,500円・鮎3,500貫(4,200円)・砂糖2,000斤(38万円),同40年にはサツマイモ4万1,000貫・石灰300万貫(3,600円)・水銀423斤(51万1,000円)・生草300万貫(2,800円)である(旧加茂谷村役場文書)。大正2年では,米4,717石・麦2,626石・繭265石(1万2,862円)・木炭60万貫(40万円)・薪2,800束(8,550円)・柑橘439反作付(1万円)・鮎8,500貫(1万7,000円)・砂糖2,300斤(52万9,000円)・サツマイモ4万4,000貫・石灰757万余貫(2万2,734円)・水銀159斤(23万8,500円)・生草24万貫(2,400円)・線香1,500円(同前)。明治・大正期の当村は,米麦以外は山間地を利用したサツマイモ・サトウキビ・桑・ミカン・線香原料・薪炭・生草などの生産のほかに,石灰・水銀などの鉱物を産出した。大正元年には,田214町8反余・畑103町4反余・宅地21町余・山林2,049町余・原野36町7反余(旧加茂谷村役場文書)。明治40年東加茂郵便局が開局し,同44年に加茂谷郵便局となる。明治23年に吉井に吉井村巡査駐在所が置かれ,ほぼ同時に大井に大井村巡査駐在所が置かれた。吉井尋常小学校は,同33年に高等科を置き,吉井尋常高等小学校となった。同34年吉井小学校大井分校は独立して大井尋常小学校となり,同45年に高等科を設置。同42年吉井実業補習学校,同45年大井実業補習学校がそれぞれの小学校に併設され,修身・国語・美術・農業・裁縫を教えた。就学率は,明治33年81.4%,同36年91.9%,同39年98%,生徒数は,明治33年男149・女115(1~4年),大正2年男231・女214(1~6年)。人口は,明治24年3,443,大正元年3,503,同9年3,321,昭和15年3,676。明治中期に開鉱し,大正期に日本一の生産量を誇った水銀鉱山も第2次大戦後は休業。石灰石は寛政期から採掘されているが,昭和28年の調査でまだ1億5,907万tの埋蔵量があることが判明した。現在加茂谷地区の代表的産物とされている温州ミカンは,大正期から本格的に商品化され,現在年間4,000~8,000t生産されている。第2次大戦では174人の戦死者を出した。戦後の復興は那賀川の築堤工事と架橋で始まった。当村には5か所に渡し場があったが,戦後中央橋・細野橋・水井橋が架けられ,昭和28年より堤防改修工事が1億5,000万円で行われた。当村の農地開放は114町余が行われ,その結果,小作は19軒から4軒に,小作兼自作は46軒から14軒に減少。農業の機械化も進んだ。昭和26年頃から微減していた役肉牛は,同35年の332頭から同40年には80頭になった。同年には動力耕耘機が202台導入されている。昭和22年の産業別人口は,総数1,862のうち農業1,362・林業174・水産業21・鉱業25・製造工業104・商業36など,主産物は同26年米4,200石・裸麦1,949石余・小麦48石・サツマイモ5万貫・ジャガイモ4,320貫・里芋5,320貫・大豆36石・大根2万4,500貫・柿1,500貫・ミカン20万貫(県市町村勢要覧)。明治39年楠根,同43年吉井,大正2年熊谷,同3年には深瀬に,相次いで青年団ができ社会活動の中心となった。また大正15年に加茂谷に常盤会が生まれ,機関誌「深翠」を昭和14年まで発行。同会から阿南短歌社が分離。俳句では昭和23年に緑友会が生まれた。明治29年に吉井と大井に設置された伝染病院は昭和初期までに廃止された。昭和22年加茂谷中学校を吉井小学校に,同分校を大井小学校にそれぞれ併設した。加茂谷中学校は同28年加茂町南不けに移転。同校の生徒数は,昭和22年218,同30年304,同40年261。大井分校は同39年廃止。昭和30年1月1日富岡町の一部となり,村制時の8大字は同町の大字に継承。




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「角川日本地名大辞典」
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