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徳島空港
【とくしまくうこう】


板野郡松茂町笹木野にある民間と防衛庁との共用飛行場。滑走路は全長1,960m,幅45m。駐機場は150m×70m(3ベース)をもっている。当空港は昭和17年4月1日,全国19か所に設置された海軍搭乗員教育航空隊の1つとして開設されたのに始まる。その後,第2次大戦の敗戦によって農地に還元されていたものを,昭和33年海上自衛隊の飛行場として復活した。同36年に日東航空(現東亜国内航空)の1便の発着が認可され,翌37年10月19日,運輸省告示第378号で共用飛行場の指定となった。同38年6月27日,大阪~徳島間,徳島~高知間,同39年6月2日には東京~徳島間の定期航空事業免許が認可され,翌40年4月には国産旅客機として初めてYS‐11が就航した。同35年の利用客7,034人に対し,同41年は9万3,801人と13.3倍となり,定期航空は急速に発展した。昭和42年には現在のターミナルビルが完成した。利用客数は年々増加し,利用率90%を超えるという高率で,空港関係者は利用客の増加実績と増大予測をもとに昭和46年から滑走路の延長によるジェット化を提唱してきた。同51年10月の閣議で第3次空港整備5か年計画が決定され,翌52年6月には,空港東側の海面を埋め立て,滑走路を2,000mにする計画が決定された。この計画には国道11号周辺への騒音公害を避けて滑走路の起点を500m東へ移動させ,駐機エプロンや付帯施設の整備が含まれており,昭和56年8月よりジェット化のための拡張工事が始まった。総事業費259億円。同年12月にはジェット化までの暫定手段として現滑走路(1,500m)でのグルービングによるジェット化計画が持ち上がり,翌57年6月徳島~東京間5往復のうち4往復がジェット化されることが決定した。昭和58年5月にジェット化のための空港改良工事が始まり,同年11月初旬完工。11月18日からジェット便のダイヤが運輸省から認可された。ジェット機は東亜国内航空のDC9‐41型(128人乗)である。空港拡張工事は昭和62年春完成の予定であるが,滑走路が1,960mまで完成した同61年4月30日より,一回り大きく,騒音の少ないMD‐81(DC9‐81)型機(163人乗)が導入された。2,000mまで延長されると,エアバスA300の就航が県民の要望であり,徳島の経済発展に大いに役立つと考えられる。乗降客数は,昭和58年61万643人,同59年76万7,487人,同60年75万6,272人(徳島空港事務所)である。昭和61年6月現在,1日の就航数は徳島~大阪10便(往復20便),徳島~東京5便(往復10便,全部ジェット化)である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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