旗見窯跡
【はたみかまあと】

奈良期後半~平安初期頃の須恵器窯跡。麻植(おえ)郡山川町の川田地区,字横走195番地に所在。吉野川に注ぐ川田川東岸の海抜約100mの台地上にあたる。台地から山地にさしかかる西斜面に位置する。壺の破片などが出土していたため,発掘前から窯跡とみられていた。昭和42年,同志社大学発掘調査。遺存状況はよくない。現存長9.6m,復元長11~12m,長軸方向N76°W。幅は焼成室中央で1.26m,焚口付近で約1.5m,煙出し直下で0.8m。床面の傾斜は焚口付近で15°,焼成室25°,煙出し付近で32°であり,半地下式窖窯と推定されている。窯の天井部と壁面は陥没しているが,スサを混じえた粘土で構築。床面は上下2面に分かれる。窯内と灰原からの出土須恵器は144個体。浅皿48,坏44,高台付坏14,椀1,蓋21,鉢4,瓶3,壺4,甕6であり,浅皿や坏の比率が高い。浅皿が森浩一編年の第Ⅴ型式後半に属すことから,8世紀後半から9世紀代の生産とみられている。しかし,粗悪品が多く,特に窯内出土のものには黒色のタール状物質が付着している。そのため,比較的短期間に廃棄されたとみられている。周辺に他の窯跡は知られていないが,この台地の北に季邦という集落があり,須恵姓を名のる家もみられる。文献は「若狭・近江・讃岐・阿波における古代生産遺跡の調査」(同志社大学文学部考古学調査報告第4冊,昭和46年)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7197006 |





