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王墓山古墳
【おうはかやまこふん】


古墳中期末から後期初頭(5世紀末~6世紀初頭)の盛土前方後円墳。善通寺市善通寺町尾崎に所在。横穴式石室に設置された石屋形や,豊富な副葬品で知られる。当古墳は大麻山と筆の山・我拝師山によって南北を限られ,西に東部山が控える弘田川上流の小扇状地,有岡の里の中ほどの小独立丘陵上,標高50mに位置する。西方低地には周濠をもつ菊塚古墳,横穴式石室をもつ北原古墳など,後期の前方後円墳が分布する。これらはほぼ東西に一直線上に並び,連続する当古墳と菊塚古墳は,その前方部をともに南西に向けるなど,1系列にあることを示す。この前方後円墳の系列は,東方の鶴ケ峰丘陵の北向八幡古墳・鶴が峰1号墳,磨臼山の磨臼山古墳などの中期の前方後円墳群,さらに大麻山の前期の積石前方後円墳,野田院古墳にまでさかのぼることが可能である。北原古墳・菊塚古墳を除くこの善通寺地域の歴代首長墓群は有岡古墳群として,昭和59年3月,国史跡に答申された。当古墳は丘陵稜線に墳丘主軸を乗せ,前方部を南西側,後円部を北東側に設ける。全長45m,後円部の径25m・高さ5m,前方部の長さ20m・端部幅20m。後円墳頂部と前方部最高所(端部)の比高0.75m,幅広で高い前方部をもつ。2段築成で盛土に版築が認められる。埋葬施設は,後円部中央で南に開口する横穴式石室が1基検出された。両袖式で,玄室平面形は長方形を呈する。全長7.5m,玄室の長さ3m・幅1.8m・高さ2m以上,羨道長4.5m・幅0.75m・高さ1.5m以上。壁は小型板状安山岩が持ち送りぎみに平積みされ,玄門も同様である。玄門部は1枚の板状扉石で閉塞され,玄室床面には玉砂利が敷き詰められていた。玄室西壁には中央から奥にかけて石屋形が造り付けられていた。石屋形は長辺の長さ1.85m(下部)・短辺の長さ0.85m(上・下部とも)・高さ1.35m。各辺は板状凝灰岩1枚,計4枚を組み合わせたものである。副葬品は,玄室左袖部に祭祀用須恵器(高坏形器台・脚台付子持ち壺)を中心に各種須恵器が,奥壁の東隅に挂甲・雲珠・杏葉・馬鈴などの鎧・馬具飾類,石屋形から金銅製冠帽・鉄地金銅張f字形鏡板,玄門閉塞石前から須恵器蓋坏3組が出土した。盗掘を受けているので,ある程度の遺物の移動は考えられるが,副葬品の種類と分布には一定の関係を見いだすことができ,葬制を知る良好な資料となっている。須恵器は数型式に分かれ,追葬のあったことが知られる。副葬品の豊富さ,豪華さは,被葬者が丸亀平野南部の盟主であったことを示す。また,挂甲と金色に輝く冠帽・馬具飾りは,甲冑に身を固め剣と大刀で武装した古墳中期の軍人のものではなく,大陸先進文化で着飾った貴人のものであろうか。九州熊本地方と共通する石屋形のような特殊な設備は,この被葬者の政治的,経済的な活動範囲の広さと地域性を物語るものである。文献は「新編香川叢書考古編」(県教育委員会編),報告書は「王墓山古墳調査概報」(市教育委員会編)。




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「角川日本地名大辞典」
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