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大川郡
【おおかわぐん】


(近代)明治32年~現在の郡名。明治32年郡制の施行により,大内(おおち)郡と寒川(さんがわ)郡が合併して成立。本県の東端に位置する。明治32年の当郡の町村数は3町20村,戸数1万5,836・人口8万8,928(男4万4,999・女4万3,929)。郡役所は長尾村に置かれた。大正10年頃製薬・製綿・紡織・その他の工場数30余,職工10人以上を使用する工場は引田町の井筒屋(醤油)・大阪手袋会社引田工場・讃岐製網,白鳥本町の日本花莚会社,白鳥村の大阪ベルベット商会,三本松町の網屋商店(醤油)・日本製薬・日本敷物・東洋製薬・大川製飴・帝国製薬,誉水村の四国紡績,丹生村の多田工場(アイボリナット釦),松尾村の大川製糸,富田村の香川製陶所,長尾村の間島酒造場・玉木酒造場,志度町の佐藤織布・林製糸場,津田町の四国製網・安田メリヤス工場,鶴羽村の天賀商会工場である。また資本金1万円以上の会社には網屋商店・帝国製薬・東洋製薬・大東製薬・日本製薬・四国製輪・大川製飴・丸一砂糖(三本松町),引田漁業・讃岐製靴・讃岐製網・讃岐海運・大川電気・岡田醤油・引田魚市・讃岐酒類(引田町),相生漁業・讃岐ロープ(相生村),四国紡績(誉水村),日本花莚・白鳥製薬(白鳥本町),大川製氷(白鳥村),大川商事・東讃叺(丹生村),大川製糸・丸松呉服店(松尾村),海南貨物自動車(石田村),香川製陶所(富田村),讃岐種苗(造田村),亀鶴醤油(長尾町),志度商事・志度魚市場(志度町),四国製網・讃岐酒造(津田町)の各株式(または合資)会社があった(県案内)。大正中期頃郡内の主要交通路は,国道22号(高松―志度―相生)・県道長尾三本松線・同志度川島線(志度~五名山,徳島県境),同引田川島線(引田~五名山,徳島県境),同志度脇町線(志度~奥鹿,徳島県境),同引田撫養線(引田~相生),同長尾坂出線がある。また高松~志度間の東讃電気軌道は明治44年に,高松~長尾間の高松電気軌道は同45年に電車を開通させ,讃岐鉄道は大正14年高松~志度間が,同15年志度~津田間が,昭和3年津田~引田間が,同10年引田以東(板野に至る)が開通した。第2次大戦前の郡内の神社は県社2・郷社10・村社6・無格社366の計384,寺院は天台宗2・真言宗39・浄土宗3・曹洞宗1・真宗19・日蓮宗1の計65(県案内)。大正9年の世帯数1万6,863・人口7万7,404(男3万8,297・女3万9,107),職業別構成は農業66%・工業13%・商業8.7%・水産業4.7%・公務自由業3.6%。世帯数・人口は,昭和10年1万6,322・7万9,675(男3万9,183・女4万492),同25年2万959・10万6,506,同35年1万9,079・10万1,329。当郡の町村の変遷は明治41年松原村が町制を施行し白鳥本町となり,同42年引田村に町制施行,大正4年長尾村に町制施行,同5年鴨部下庄村が鴨庄村と改称,同8年奥山村が多和村と改称,昭和29年誉水・丹生の2村が合併して大内町が成立,同30年白鳥本町と五名・福栄・白鳥の3村が合併して白鳥町が成立,松尾村・富田村の2村が合併して大川村となり,石田村・神前(かんざき)村が合併して寒川村となり,同年小海・相生の2村を引田町に,三本松町を大内町に,小田・鴨庄の2村を志度町に,多和村を長尾町に合併,同31年鶴羽村を津田町に,鴨部村を志度町に,造田村を長尾町に合併,同34年木田郡三木町の一部を長尾町に編入,同36年大川村・寒川村がおのおの町制を施行し,現在の当郡は引田町・白鳥町・大内町・津田町・大川町・志度町・寒川町・長尾町の8町から成る。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7198010