100辞書・辞典一括検索

JLogos

29

東風浜遺跡
【こちはまいせき】


縄文時代の集落を中心とする遺跡。三豊郡詫間町粟島字東風浜に所在。同じく粟島に所在する西浜遺跡とともに,荘内半島における縄文時代の集落遺跡の中心的な存在。粟島南部の城山の北東麓は,鞍部を経て再び盛り上がり,山崎と呼ばれる小山塊となる。当遺跡は北部の阿島から山崎へ張り出した,南北300m・東西250mの砂州の東海岸近くに位置する。東風浜集落の人家密集地にあり,調査地点は,隣接する粟島1075番地と1095番地。出土品は,前者のA・B・C計3か所のトレンチから,縄文式土器片(132)・弥生式土器片(154)・土師器片(7)・須恵器片(7)・製塩土器片(5,694),後者からは縄文式土器片(62)・弥生式土器片(82)・土師器片(1)・須恵器片(7)・製塩土器片(157),双方から少量の石器・石鏃・磨石・石匕(各1),後者から石錘(1),ほかに土錘・蛸壺形土器が出土。製塩土器を主体とする遺跡であるが,ほかの製塩遺跡に比べ縄文式土器の量が多く,縄文遺跡として知られる。弥生式土器は後期に属する。製塩土器は古墳後期以降に属すると思われる。縄文式土器は中期から晩期まで,継続的な諸型式が出土。西海岸の西浜遺跡とほぼ同様の展開であるが,中・後期に関しては,西浜遺跡が充実している。これから西浜遺跡を母集落,東風浜遺跡を派生集落と断定することは早計だが,遺跡の開始期,終末期を同じくすること,数百mの間に位置することから,併存した集団を想定することが適切であろう。同様の関係は,遺跡間の距離に大きな差はあるが,荘内半島先端部,西岸の生里(なまり)遺跡,東岸の箱遺跡の間にも想定される。東日本の集落内,あるいは集落間に認められる双分組織をこれら遺跡間にも考えるべきであろうか。県下各地の中心的な集落遺跡は,すべて縄文前期から始まるのに対し,荘内半島の諸遺跡の開始時期は縄文中期となる。文献は「新編香川叢書考古編」(県教育委員会編)。南方三豊平野の諸遺跡は,南草木貝塚を除くとすべて前期に始まり前期で終わる。両地域間に集団の移動を考えるべきか。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7198541