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讃岐半島
【さぬきはんとう】


四国北東部にある半円弧状の半島。北は備讃瀬戸に面し,南端は阿讃山地(讃岐山脈)南麓を走る中央構造線に区切られ,東は鳴門海峡を挟んで淡路島と相対し,西は東予低地と燧(ひうち)灘に接する。半島の呼称は,大部分を占める本県の旧国名,讃岐に由来。山頂に狭い浸食平坦面を残し峡谷に刻まれた早壮年期末期の阿讃山地には,山麓台・上位台地の前山丘陵があり,その北方には開析溶岩台地を起原とする卓状・群峰状・円錐状などの山地の間に,大川・高松・綾歌・丸亀・三豊などの平野群からなる讃岐平野が展開。開析溶岩台地を起原とする,荘内(三崎)半島・乃生岬・王越岬・大崎鼻・紅ノ峰鼻・神在鼻・屋島半島・庵治(あじ)半島・小串岬・大串岬・馬ケ鼻などの半島が北方へ放射状に突出する。瀬戸内海を中心とした西日本の地形は西進する太平洋プレートと,その西方に接して北進するフィリピン海プレートが,ユーラシアプレートの東端にある日本列島の下に潜入するために生じた地波により構成された。隆起軸・沈降軸を南北方向に並列する地波は,紀伊半島,讃岐半島~室戸半島,高縄半島~足摺半島,九州山地を隆起させ,伊勢湾,紀伊水道,燧灘~土佐湾,豊後水道を沈降させ,東西方向に並列する地波は中国山地・四国山地を隆起させ,瀬戸内海を沈降させた。阿讃山地の主要な地質である和泉層群は,白亜紀(1億3,500万年~7,500万年前)の後期に,それまで陸地であった西日本の中央部が沈降した海に堆積した。古第三紀の暁新世(6,500~5,300万年前)に南北方向の横圧力を受けて中央構造線の断層活動があり,和泉層群は隆起して陸上で浸食を受けた。この浸食の末期頃,現在阿讃山地の山頂部に残る浸食平坦面が形成されたらしい。新第三紀の中新世(2,500~1,100万年前)の初期に,和泉層群は中央構造線を境として,南側の三波川・久万層群に衝上し,第2次の阿讃山地が生まれた。中新世の後期には,小豆(しようど)島付近の内海に土庄層群が堆積し,讃岐半島は東西方向の横圧力を受け,阿讃山地の中央部と南部が高く,北部と東西両端が低くなる急激な曲隆が起こった。南端では中央構造線が活動し,山地の北側では和泉層群の基盤である花崗岩類の浸食小起伏面上に放射状の亀裂が走って,酸性凝灰岩の噴出に始まり讃岐岩質溶岩の湧出とこれを切る流紋岩の迸入に終わる瀬戸内火山活動が続いた。その後隆起した溶岩原は選択浸食を受けて,花崗岩類が突出した高い部分は削られ,溶岩の厚い低所が削り残されて地形の逆転現象が起こり,屋島(292.1m)・紫雲山(239.1m)・城山(462m)・大麻山(616m)などの卓状山地,伽藍山(220m)・六ツ目山(317m)・堂山(300m)などから成る堂山山地,高鉢山(512m)・大高見峰(504m)・猫山(465m)・鷹丸山(387m)・城山(375m)などから成る高鉢山地,我拝師山(481m)・火上山(409m)・筆の山(296m)などから成る我拝師山地,弥谷山(382m)・天霧山(360m)・黒戸山(299m)・貴峰山(223m)などから成る弥谷山地などの群峰状山地,国分台(407.2m)・白峰(370m)・青峰(449m)・北峰(386m)・勝賀山(364m)などから成り,卓状から群峰状に移行している五色台山地,堤(つつま)山(202m)・十瓶山(216m)・火の山(247m)・青ノ山(225m)・飯野山(422m)・爺神山(227m)などの円錐状山地,流紋岩の岳山(203m),黒雲母石英安山岩の白山(203m),黒雲母安山岩の上佐山(256m)・日山(192m)・由良山(121m),讃岐岩質安山岩の笠山(108m)・亀山(66.7m)・汐木山(171m)・江甫山(153m)などの岩頸となった。第三紀末期の鮮新世(1,100~200万年前)に瀬戸内一帯は沈降して淡水湖となり,ヒメバラモミ・メタセコイアなどの化石を含み,局地的性格の泥岩が多い三豊層群が堆積。鮮新世末頃から阿讃山地は曲隆を再開し,峡谷が刻まれていくが,礫岩・砂岩・泥岩の互層である和泉層群は泥岩が他の岩石よりも浸食されやすく,地層配列の状態が地形に現れケスタ状山嶺が並んで,南側には厚い砂岩層が露出する緩斜面,北側には互層の切り口が露出し崩壊しやすい急斜面が多くなった。泥岩卓越部分は下刻が速く進んで,一時的に平衡勾配に近くなり,側刻が進行して谷底の幅も広くなる。山地の峡谷で生産された岩屑は河川に運ばれ,山麓の浸食面上に扇状地礫層を展開した。これが山地の曲隆に伴って上昇し,花崗岩類が露出する山麓台と,焼尾礫層を残存する上位台地になった。この台地の海抜高度は山地北側で仲多度郡琴南(ことなみ)町猪ノ鼻付近(390m),南側で徳島県美馬郡美馬町猿坂付近(260m)が最も高く,この2地点を結ぶ北北西~南南東の線が,鮮新世以後における讃岐半島の曲隆軸であろう。阿讃山地は中央部が高く東西両側が低く,南麓では階段断層を伴って急激に,北麓では浸食平坦面を引きずりながら徐々に曲隆を続けた。南麓の徳島県側で断層突起や断層鞍部が並ぶ階段断層地形は板野郡西部から三好郡東部までの地域に多いが,鳴門市東部では大断層の露出がなく,断層面は山体とともに沈下して吉野川下流の氾濫原の下に埋積されたらしい。鳴門市西端に近い極楽寺,板野郡上板町の滝宮にも衝上断層の露出があるが,同郡土成町の宮川内谷川の河床には幅150mに達する破砕帯がある。阿波郡市場町の日開谷や美馬郡脇町の田上(たねい)などでは和泉層群が圧砕されて片岩状になり粘土化した部分を各所に挟んでおり,同町の井口谷などでは沖積段丘の礫層を切る断層もあって断層活動が最近まで続いていることを示す。北麓の断層は比較的に断片的であるが,大川郡長尾町では花崗岩が焼尾礫層を,綾歌郡綾上町の遠郷では花崗岩が三豊層群を,満濃池南方の馬ノ谷では和泉層群の基底礫岩が焼尾礫層を切って走向ほぼ東西,傾斜南落ちの断層面で衝上。讃岐半島を南北方向またはこれに斜交して切る断層は東部では北東~南西,中部で南北,西部で北西~南東の方向が卓越し,阿讃山地中部を中心に放射状に近い断層網として発達。この北へ傾く傾動地塊のような四半球状の曲隆によって,分水嶺南側の吉野川支流では泉谷・日開谷・伊沢谷・曽江谷・野村谷・河内谷・小川谷・鮎苦谷などの川が並列して,山麓に急勾配の複合扇状地を展開し,北側では中央部を中心に,東~北東へ馬宿・湊・与田,北へ津田・鴨部・新・春日,北~北西へ香東・綾・土器・金倉・柞田,西へ財田などの川が山地中心部から北方に開く放射状に近い流路を流れ,比較的に緩傾斜の扇状地を発達させた。曲隆はさらに進んで当時の堆積面は上昇し開析されて下位台地となったが,その分布は阿讃山地の南麓では中部にやや広く,伊沢谷以東では狭くなり,泉谷以東では吉野川沿岸の低地の下に埋没し,北麓では土器川と香東川の間に広く,西部の財田川中流・高瀬川上中流の沿岸にも発達するが,香東川以東では面積が狭くなり,香東川と新川,鴨部川と津田川の間に存在し,与田川以東には見られない。現在の沖積地は吉野川沿岸では西部の三好郡池田町付近で幅1kmにすぎず,東方ほど広くなり板野郡板野町付近では幅10kmを超え,讃岐平野では東部と西端で狭く,中部の香東川と春日川・新川,土器川と金倉川の沿岸に広く発達する。氷期には本州と四国は地続きであったが,後氷期の海進で瀬戸内海が形成されはじめ,縄文早期には小豆島・豊島付近に海岸線があったらしく,豊島南端の札田崎に近いだびかす貝塚には押型文土器が汽水生のヤマトシジミ貝層から出土する。この縄文海進の最盛期には海退後の半島の曲隆を考えると低地のかなり内陸部まで海に沈んだらしい。その後の海退で浅海の海底が陸化して海岸平野となるが,海岸は沈降海岸の特色を示し,各湾頭に河川の扇状地三角州が発達中である。岬と岬の間を結ぶ砂浜には波浪が打ち上げた堆積地形の浜堤が並び,その上を走る浜街道に沿って引田・白鳥・大内・津田・志度など各町の中心となった街村が立地した。阿讃山地の南北両麓における地形発達の差異が吉野川北岸の阿波の北方(きたかた)に畑・草地の多い農村,讃岐平野に溜池依存の広い水田地帯の農村を形成し,阿讃山地の相栗峠・真鈴越・三頭越など嶮しい峠を越えて北方から讃岐平野へ耕起を助ける借耕牛が通い,山脈北麓の讃岐男に南麓の阿波女が米食と比較的に楽な農作業を求めて嫁入りしたという。讃岐半島が南に高く北に低く,中央が高く北・東・西が低くなるような四半球状の曲隆を続けたので,雨の多い山地は狭く雨の少ない平野は広く,川は浅い山から放射状に流出して扇状地に浸透し流量が少ない。降水量は阿讃山地で年1,400~1,500mm,海岸部で1,000~1,200mmあるが,盛夏の8月には旱魃になりやすい。古代から中央政権との関係が深く,強い政治権力で溜池を造成して水田を開発してきたので農業用水の70%を貯水池に頼る溜池灌漑地域となった。溜池が多く造られたのは条里制施行期と江戸前期の新田開発期,および昭和期である。溜池には山麓の小谷に造られた山麓池,台地の崖端浸食谷を利用した台地池,低地の扇状地末端泉の浅い谷や周囲を堤防で囲って造る低地池,山間の深い谷に造った多目的ダムの山地池など。溜池のほか浅井戸やこれを掘り広げた堀,湧泉を掘り広げた出水,河川の伏流水をとる埋樋などを使って複雑な水利慣行が発達した。灌漑系統の整備状況から,従来の小溜池や河川から取水している山間・山麓地域,溜池の用水路の整備,香川用水の利用などで灌漑が安定している津田・新・春日・大束・高瀬などの河川沿岸の水利安定地域,上流にダムが造られ香川用水も利用して水利系統の整備が進む新川股池(有効貯水量27万2,000m(^3))をもつ馬宿川,五名ダム(70万m(^3))・大内ダム(90万4,000m(^3))をもつ湊川,大川ダム(64万m(^3))をもつ津田川,前山ダム(183万m(^3))をもつ鴨部川,長柄ダム(380万m(^3))をもつ綾川,野口ダム(110万m(^3))をもつ財田川などの沿岸の整備途上地域,多目的ダムなどにより水利系統が統合整理された内場ダム(720万m(^3))による香東・詰田・御坊・本津,満濃池(1,540万m(^3))による土器・金倉,五郷ダム(225万m(^3))による柞田・唐井手などの河川沿岸の整備完了地域などに区分できる。讃岐半島の水田比は20%以上で全国平均の9%より著しく高いが,ハダカムギ・タマネギ・レタスなどは全国屈指の生産高を示す。各地の山腹や上位台地にはミカンなどの果樹や茶・タケノコなどが栽培され,山間ではシイタケ・高冷地野菜も作られている。山林はアカマツ・クロマツ・スギ・ヒノキ・アラガシ・シイ・アベマキ・クリ・クヌギ・ウバメガシなど暖・温帯性のほか,ブナ・ヤマハンノキ・フサザクラ・トチノキ・クルミなど寒地性に近い樹木もあるが,自然林は大滝山のブナ林,金刀比羅宮神域の暖帯性林など一部にすぎず,人為的に変貌している地域が大部分を占める。動物では阿讃山地にニホンザル・キュウシュウシカ・ムササビなど,同山地と五色台にニホンリス・タヌキ・アナグマ・ノウサギ・イタチ・ヒミズ・モグラなどの哺乳類がすみ,森林の夏鳥ではホトトギス・カッコウ・ツツドリ・ミソサザイ・オオルリ・キビタキ・ムシクイ・ヤブサメ・ヨタカ・サンショウクイ・サンコウチョウ・クロツグミ・コマドリ・ヒガラ・サシバ・ジュウイチ,冬鳥ではキクイタダキ・ホオジロ・シロハラ・ウソ・クロジ・アトリ,留鳥ではヤマドリ・カケス・コゲラ・イカル・アオバト・エナガ・シジュウカラ・ヤマガラ・トラツグミ・メジロ・キジ・コジュケイ・キジバト・ヒヨドリ,低地の森や公園ではイカル・ウグイス・ツグミ・ルリビタキ・アオジ・シメ・ジョウビタキ・レンジャク・ムクドリ,河川沿岸ではカワガラス・セキレイ・ヤマセミ・カワセミ・アカショウビン・クイナ・バン・シギ・サギ・ヨシキリ・チドリ・ヒバリ・カシラダカ・カワラヒワ・オオジュリン・セッカ・モズ,池ではカモ・チドリ・シギ・サギ・ハクチョウ・ミサゴ,海岸ではチドリ・ムナグロ・シギ・カモ・カモメ・カイツブリ・アビなど各科の鳥が見られる。クロコノマ・ムラサキツバメ・マルタンヤンマ・アオサナエなどの珍しい昆虫やタワヤモリ・ブチサンショウウオ・アワマイマイ・カブトエビ・マミズクラゲなどの稀種生物も観察できる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7198650