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天神前
【てんじんまえ】


(近代)①明治初期~現在の町名。明治23年からは高松市の町名となる。稲荷山の北東に位置する。地名は菅原道真を祀る中野天満宮(通称大天神)があることに由来する(高松地名史話)。江戸期の当地付近は「讃州府志」に「城外ヲ外町ト曰一条ヨリ八条ニ至ルヲ番町ト云。千石町ノ後浜町天神前広昌寺後浄願寺南一条及亀井町ノ南新田町ノ北皆大臣諸老元士ノ宅也」とある。江戸後期の高松城下絵図によると,当地は武家屋敷と広い敷地をもつ社寺になっている。神社は中野天満宮と金毘羅大権現。中野天満宮は京都北野天満宮の分霊を勧請,はじめ中ノ村にあったが,寛永15年生駒高俊がこの地に移した。その後松平頼重(初代高松藩主)が菅公自筆の画像と祭田10石を寄進,3代頼豊が祭田を100石に加増した。明治維新後中野天満神社と改称。寺院は,鶴林寺・大護寺・広昌寺・聴徳院・実相寺。梅松山鶴林寺は天台宗聖護院末寺で中野天満宮の別当寺,明治元年廃寺となる。神光山大護寺は律宗江戸湯島霊雲寺末寺であったが,のちに真言宗高野山派に属し,3代頼豊以来歴代藩主の祈祷所となり,寺領100石。久栄山広昌寺は日蓮宗甲州身延山久遠寺末寺,寛文元年頼重が生母久昌院の菩提を弔うため僧日儀に命じて開創,寺領130石。聴徳院は慶長年間の開創,紫雲山最興寺といい真宗仏光寺派に属す。同寺の高さ1丈6尺の阿弥陀如来坐像は頼重が京都から移したとも伝える。広福山実相寺は禅宗京都妙心寺末寺で寺領70石,はじめ法昌寺といい浅野村にあったが,寛永年間のはじめ生駒高俊が城下三番丁の法泉寺境内に移し寛永15年死去した夫人秋月院を葬る。5代頼恭が頼重の隠居所であった当地に新地を与え移転したが,大正4年三番丁に移り寺域は明善学園の敷地となる(新修高松市史)。元禄16年2代頼常が中野天満宮の南隣に講堂,安永8年6代頼真が同天満宮の北に藩校講道館を建て,藩士や子弟に学問などを教授。文化年間頃と推定される城下図によると,中野天満宮の前に六辻ケ原(広場)があり,そこに松の木が描かれて七本松と記されている。明治初期鶴林寺の跡に洋学所などを設立。明治8年の戸数328・人口1,376(梶山家文書)。同12~17年中野天満神社境内に戸長役場が置かれた。明治6年講道館跡に設置した共立病院は同9年高松公立病院と改称(のちの日赤香川支部病院)。同23年香川県尋常師範学校校舎を当町に新築(大正13年に西浜新町に移転)。同24年進徳女学校(のちの高松高等女学校)を讃岐婦人進徳会が大護寺にて開設。同26年香川県師範学校付属幼稚園開設,同年栗林(りつりん)村ほか4か村組合立高等小学校を旧鶴林寺内に創立。同30年頃の産業は,輸出羽二重の機械織を主とする高松織物のほか,質屋商1・砂糖商1・酒商1・酢商1・古道具商1・菓物商1・傘商兼海苔製造業1・炭薪商1・売薬商3・諸紙製造販売商1・指物師2・椅子テーブル製造販売1であり,所得納税者は25,尋常有産者はない(繁昌懐中便覧)。明治31年前記織物会社を仮校舎として県立工芸学校開設。大正6年明善高等女学校創立(昭和31年明善短期大学併設)。大正6年県教育会の表誠館新築落成(併設の図書館はのちに県立図書館となる)。第2次大戦後表誠館跡地に県教育会館設立。昭和22年県労働基準局,同24年高松国税局設置。同年香川県医師会館・四国新聞社社屋新築落成。同26年国家公務員共済組合立高松病院を開設。戦災で全焼した県庁は,昭和22年当町に移転し木造2階建て庁舎を建築,同33年丹下健三氏設計による8階建て庁舎新築完成。当町は高松市の政治・教育・文化の中心地になる。世帯数・人口は,昭和15年末651・3,370(男1,435・女1,935)であったが,戦災で全焼したため,同20年末は28・101(男57・女44)と激減,同25年末には733・2,589(男1,233・女1,356),同30年646・2,665(男1,290・女1,375)となる。一部が同33年天神前1~2丁目・中新町・亀井町・五番町・八番町・宮脇町,同39年天神前1~2丁目,同41年亀阜町(のち亀岡町)となる。同43年天神前1丁目の大部分と中新町の一部を当地に編入,同44年一部が中央町となる。世帯数・人口は,昭和45年328・1,060(男494・女566),同55年291・768(男351・女417)。昭和45年四国新聞社は社屋を中野町に新築して移転したが,高松国税局は改築し高松税務署も同所に移転。町内にビルの建設が進み,役所や企業などが進出,昭和43年頃四国や高松の出張所11・支社(支店)11・支部2・事務局4などがあり,当町が四国の行政・経済上の管理中枢機能都市としての高松市の一翼を担う町となってきた。中野天満神社の近くに古くから市民に親しまれた八本松という小地名がある。八本の松の木があることから名付けられたが,戦災で焼失し地名だけ残る。同58年同地の道路わきに八本の松を植え町並に景観を添えるとともに市民の郷愁を満たしている。②昭和33~45年の高松市の町名。1~2丁目がある。もとは高松市天神前の大部分と中新町・七番丁・八番丁・十番丁の各一部。昭和43年1丁目の大部分が天神前,同45年残余が番町5丁目となり,同2丁目は昭和44年中央町となる。このため,町名由来の中野天満神社は番町5丁目に,県庁・日赤高松支部病院は番町4丁目に属することになる。




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「角川日本地名大辞典」
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