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花園町
【はなぞのちょう】


(近代)大正10年~現在の高松市の町名。昭和39年からは1~3丁目がある。もとは東浜村東浜の一部。杣場川(玉川)の高橋を扇の要にして,北東は松島町,西は塩上町,南に花園町が広がる。西は高橋から樋ノ上を経由する三十郎土堤,東は御坊川で限られる。地名は江戸期に当地が御花畑とよばれ一面の花園であったことに由来する。ここには生駒家の別荘があり,門前の祠は「生駒の荒神さん」と住民に親しまれていた(荒神社は多賀神社の境内にあった)。明治期になっても,高橋から御坊川橋を経由する長尾街道(東上道)筋には家並みが続くものの,その背後はまだ田畑であった。大正期は工業が発達し,岡島合名会社製材工場・四国護謨製造・木内硝子工場,昭和期にはいって古市末広堂(線香製造)・南海製薬所・高松中央市場などが設立された。劇場には新栄座があった。昭和16年の世帯数914・人口3,713(男1,809・女1,904)。同20年の高松空襲によって74%が焼失した。世帯数・人口は,同28年1,187・4,557,同35年1,780・6,585。昭和33年一部が観光通1~2丁目・多賀町1~3丁目となる。同39年楠上町の一部を編入して大部分は花園町1~3丁目となり,残余は多賀町1~3丁目・観光通1~2丁目・塩上町1~3丁目となる。1丁目は御坊川の西に位置し,高松琴平電鉄長尾線花園停車場がある。世帯数・人口は,同40年494・1,711,同50年434・1,325,同55年412・1,103。2丁目は,1丁目の南に接し,世帯数・人口は,昭和40年318・1,108,同50年252・736,同55年266・717。3丁目は2丁目の南に接し,国鉄高徳本線で南を限り,栗林駅があり,世帯数・人口は,昭和40年380・1,263,同50年435・1,152,同55年351・944。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7199461