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浜町
【はままち】


旧国名:讃岐

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は丸亀城下の1町。丸亀平野の北部,福島町を挟んで瀬戸内海に面する。丸亀城の北にあたる。東西に細長い町で,「西讃府志」には「西船町ヨリ東京橋ニ至ル町長二町三十七間,福島橋ヨリ南横町ニ入ル長三十四間」とある。万治年間の城下図によれば,西側一部に生駒氏時代からの町とされる古町が見えるが,町域の大部分は新町と記され,山崎氏時代に成立した。北側は西汐入川が流れ込み海水と出会う場所で,地名の由来は海浜の町であったことから起こっている(丸亀市史)。町の西端は船頭町と呼ばれ,元禄10年の城下図によれば,その北手海面を埋め立て,御船入・御船蔵などの設備が置かれている。また,町の東端は通町まで続く入海となっており,対岸の宗古町との間に新京橋があった。三浦とともに加子役を負ったため棒役を免除されたが(西讃府志),加子役負担の機会はなく,享保14年には代わりに御舟下げなどの人足や出火時の御船手詰人足を課す旨の触が出されている(古法便覧)。「西讃府志」では,戸数83・人口311(男158・女153),舟数12(100石積1・90石1・80石3・70石2・60石1・40石4),馬3,梁1。元禄4年架設の福島橋により福島町とつながる城下の中心的商業地を構成した。江戸後期金毘羅参詣の隆盛にともない町は繁栄し,問屋などが立ち並んだ。船を所有する商人も多く,商品輸送の中心地でもあった。明治4年の問屋株所有者35軒のうち当町13軒。同11年には丸亀町の1町となり,同18年まで西組に所属。同23年市制町村制施行により丸亀町の1町となり,同32年市制実施にともなって丸亀市浜町となる。明治4年の町の広さは2,409坪余(丸亀市史)。同6年練兵所建設のため県支庁舎が番丁から移され,同32年には丸亀市役所となって大正4年まで当町に置かれた。明治8年葭町正玄寺の亀湾小学校が南条小学校を合併して当町へ移され,その後北山小学校(北平山町)も吸収したが,同19年瓦町へ移され丸亀小学校(現城北小学校)となった。同22年讃岐鉄道(現国鉄予讃本線)丸亀駅新設,当町は駅前商店街として発展した。大正元年西汐入川の埋立て・流路付け替えにともない新町が成立,福島町と地続きとなった。同10年には県下最初の洋画館地球館開設。昭和45年延長100mの商店街アーケード改造およびカラー舗装完成。世帯数・人口は昭和27年143・664(男303・女361),同55年122・304(男135・女169)。瀬戸大橋完成を控え,駅前都市開発計画が考えられている。昭和25年地方(じかた),同55年西本町の各一部を編入。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7199473