藤の谷遺跡
【ふじのたにいせき】

弥生中期の細形・中細形銅剣出土遺跡。観音寺市粟井町に所在。三豊平野南東部に位置する,標高312mの菩提山は,四方に支脈を延ばし,南西の高尾山,愛媛県境の大谷山とともに三豊平野の東から南を縁どる山並みを形成する。当遺跡は菩提山の北西に延びる支脈の末端,藤の谷と呼ばれる谷を東に従えた尾根の,北西の緩傾斜面に位置する。標高約50m。眼下の観音寺低地には後期横穴式石室墳が群集する母神(はがみ)山があり,その先に燧(ひうち)灘が広がる。銅剣は明治33年頃,累積した石群の下の土中から3本重なって出土したという。細形(2)・中細形(1)が出土し,細形は長さ30.6cm・重さ163gと,長さ30.4cm・重さ286g,中細形は長さ34.4cm・重さ280g。すべて関部に双孔があり,ほぼ完形に近い。昭和37年県文化財に指定され,現在は個人が所蔵。県下で細形・中細形銅剣が出土したのは,ほかに善通寺市の瓦谷遺跡の中細形(4),牟礼(むれ)町の羽間遺跡の細形(1)が知られるのみ。高松市西植田町でも細形の出土が伝えられるが定かでない。周辺では観音寺市の一の谷遺跡で外縁付鈕式,2区流水文鐸,三豊郡山本町の辻遺跡で中広形銅矛などの青銅祭器が出土した。これらの遺跡は財田川左岸と柞田川右岸の間の低地から山麓にかけて,辻遺跡を中心にほぼ等距離に分布する。同種の青銅祭器の分布が善通寺有岡の里などでもみられる。祭器分有によってまとまる祭祀共同体が想定されるが,祭器が古式である点より,弥生時代中頃から県内各地で形成されたことが推測される。文献は「新編香川叢書考古編」(県教育委員会編),「讃岐青銅器図録」(瀬戸内海歴史民俗資料館編)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7199632 |