三都村
【みとむら】
(近代)明治23年~昭和29年の小豆(しようず)郡の自治体名。小豆(しようど)島南部,三都半島南端部,東は内海(うちのみ)湾,西は池田湾に面する。吉野・神浦(こうのうら)・蒲野の3か村が合併して成立。旧村名を継承した3大字を編成。東西31町・南北1.5里。明治24年の戸数385・人口2,048(男1,057・女991)。寺1,学校2,50石以上の和船13・小船112(徴発物件一覧)。花崗岩・安山岩質で石材がとれ,薪場も多い。農業を中心とし,ほかに漁業・林業・石材業・瓦製造などが行われた。昭和期に入ると煙草・除虫菊の作付けが多くなり,また日本石油の砕石工場が神浦にできて花崗岩を大阪方面に移出した。明治27年の戸数357・人口2,005,大豆4反・2石,粟50反・2石,サツマイモ458反・1万8,320貫,砂糖黍43反・3万8,700貫,米128反・64石,麦1,511反・1,086石,ナマコ20貫。同37年の戸数354・人口2,155,大豆35反・18石,粟55反・38石,サツマイモ998反,砂糖黍90反,米139反・302石,麦1,307反・1,145石,ナマコ370貫,桃3反,鰯7万貫・イカ230貫・鰆35貫・鯛385貫・鰈152貫・鮹10貫,素麺500貫・175円,麦稈真田6,000反・1,800円,繭9斗。同42年の戸数351・人口2,068,大豆35反・18石,粟55反・22石,黍3反・2石,サツマイモ955反,米138反・282石,麦1,305反・1,166石,ナマコ280貫,小豆4反・3石,鰯2万8,000貫・鰆230貫・鯛155貫・鰈112貫・鮹10貫,繭1石・65円,梅1石,梨30貫,柿23反,瓦18万個・2,700円。大正2年の戸数362・人口2,152,大豆35反・19石,サツマイモ955反,砂糖黍46反,米141反・332石,麦1,301反,ナマコ280貫,桃265反,小豆4反・3石,鰯4万6,500貫・鰆280貫・鯛180貫・鰈150貫,麦稈真田2,540反,瓦35万8,000個,牛154(150戸)。大正4年の戸数362・人口2,139(男1,112・女1,027),田141反・畑1,271反・山林4,191反,地租1,414円,米119石・麦1,668石・サツマイモ15万3,778貫,麦稈真田76反,瓦57万3,280円,牛148・豚17・鶏641,卵2万3,653個,薪木1,145円,漁獲物1万9,041円,船169(日本型船22・小廻船22・漁船125),荷積車73,自転車5。同9年の世帯数406・人口1,834。昭和5年の世帯数395・人口1,870(男919・女951),田151反・畑1,262反・山林4,170反,米343石・麦1,969石・サツマイモ7万9,856貫・煙草5,438貫・素麺720貫,瓦24万4,000枚,牛132・豚129・鶏2,277,卵26万1,340個,薪木2,240円・石材960円・漁獲物3万3,334円,船144(日本型船8・西洋型船2・小廻船16・漁船118),積荷牛馬車7・自転車102,夏橙436本・温州ミカン183本・梨1,030本・ネーブル218本・桃901本・イチジク940本。世帯数・人口は昭和10年385・1,837,同25年421・2,298。同29年池田町の一部となり村制時の3大字は同町の大字に継承。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7199855 |