屋島
【やしま】

旧国名:讃岐
およそ二等辺三角形の形で瀬戸内海に突出した屋根型の溶岩台地およびその山麓のうち,ほぼ相引川以北の半島に立地する。地名の由来は,当地が「古事記」にある鵜茅草葺不合尊の降誕地で,豊玉姫八尋の産殿を造らせた島であったから八尋島と称し,のち尋を略して八島と呼び,その形が家の屋根の形に似ているので屋島とも称したといわれる(鵜羽神社記)。元来は山を中心に屋島と呼称するが,村名としては檀ノ浦および屋島山上を含む地域。寛永年間以前は浅瀬で分離された完全な島で,その後の海退と埋立てで陸続きとなり,相引川が昔日の面影をとどめている。全体の形状は最高点293mの平坦な台地をなし,真中がくびれて北嶺と南嶺に分かれる。山頂平坦部は南北3.3km・東西540m,周囲8,000mといわれ,屋島寺のある南嶺が広い。地質的には基盤が花崗岩でできており,その上に凝灰岩,集塊岩の層がのり,最上部に讃岐岩質安山岩が南に厚く北に薄い層をなしてのっている。花崗岩部分は浸食にもろくなだらかな山腹斜面を示し,安山岩部分は切りたった絶壁をなしている。凝灰岩部分は北端にある洞穴跡のように採石されたり,屋島寺の「雪の庭」のように山頂部にも一部露出している。わが国では本県以外ではみられないメサ型の溶岩台地の典型として,地理の教科書などによく引用されているが,珍しいのは山頂の一部に屋島礫層と称する湖成の細礫層があることで,一度は堆積層で覆われ,その後浸食から取り残された開析溶岩台地であることを示している。かつては,松で全山覆われ,常緑で美しかったが,近時松食虫の害ですっかり赤茶けた山腹と化し,対策に苦慮している。松の伐採後,他の常緑樹の植林が進められている。なお,北端長崎ノ鼻には長さ63mの前方後円墳があり,屋島全体で合計10基ほどの古墳があった(木田郡誌)。
【屋島(古代)】 奈良期に見える地名。
【屋島(中世)】 平安末期から見える地名。
【屋島村(近世)】 江戸期~明治23年の村名。
【屋島村(近代)】 大正9年~昭和8年の木田郡の自治体名。
【屋島町(近代)】 昭和8~15年の木田郡の自治体名。
【屋島(近代)】 明治23年~昭和15年の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7199970 |





