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真穴村
【まあなむら】


(近代)明治22年~昭和30年の西宇和郡の自治体名。宇和海に面して位置する。宇和海沖南西の大島・地大島・三王島・栗の小島・貝付小島も含む。真網代(まあじろ)・穴井(あない)・大島の3浦が合併して成立。大字は旧村名を継承し,3大字を編成。村役場を大字穴井に設置。村名は真網代浦・穴井浦から1字ずつとって命名。戸数・人口は,明治37年647・3,934,大正10年641・4,284。明治35年大字穴井に郵便局開局。同43年大字穴井に佐海銀行開業。同44年には宇和島運輸の沿岸航路八幡浜宇和島線が開設され,大字穴井・真網代に寄港。明治20年代末~大正期の主産業は養蚕と綿織物業で,大正元年には大字真網代・穴井に機業戸数239,うち職工5~70人の綿織物工場11,ほかに製糸工場1・製網工場2を数えた(記念誌「まあな」)。明治30年穴井の田中・三好両名が北米カリフォルニアへ渡航,その後大字真網代・穴井からカリフォルニア方面を中心に出稼ぎ渡航が相次ぎ,同38年には大字穴井で20人(万歳請名簿),真網代では同32年から昭和4年にかけカリフォルニアに30人,ペルー6人,カナダ・オーストラリア各々2人が渡航,アメリカ合衆国へ13人が密航した。送金を待つ留守家族は「アメリカ講」を催し,情報交換と渡航者の無事を祈った。昭和4年の村勢は,世帯639・人口3,941,田19町余・畑244町余,物産は綿織物36万5,422円・生糸13万5,008円・繭13万3,820円・果実4万800円・魚類1万3,420円(市町村治績録)。当地域のミカン栽培は,明治24年大字真網代の大円寺住職による郡内三崎村(現三崎町)からの夏柑導入に始まり,同33年,北宇和郡立間(たちま)村(現吉田町)から温州ミカンを入れ,養蚕とともに農業の二本柱となり,大正7年,真穴柑橘組合設立,同15年には真網代に選果場を設け,昭和3年には共同出荷を行った。昭和4年早生温州が導入されて一段とミカン熱が高まり,栽培面積は同8年で55haとなり,桑園面積を上回り,同10年では63.2ha・1,411 t,同20年72ha・1,475 t,同30年には125ha・2,985 t(普通温州65ha・2,045 t,早生温州47ha・940 tなど)に達した。品質でも昭和24,26年には全国果実品評会で農林大臣賞を受賞(記念誌「まあな」)。昭和30年八幡浜(やわたはま)市に合併。各大字は同市の大字として存続,合併時の人口4,636。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7203046